2018/10/03 (水)
選手

本多選手が引退会見「寂しいけど、後悔はない」

10月3日(水)、本多雄一選手が引退会見をヤフオクドーム内のプレスカンファレンスルームで行いました。

会見の冒頭で本多選手は「今シーズンを持ちまして、プロ野球13年間の現役生活を引退することをご報告いたします。皆様には大変お世話になり、ありがとうございました」と直立不動であいさつし、深々とお辞儀をした。

本多選手は福岡県大野城市出身。鹿児島実業高から三菱重工名古屋を経て2005年大学・社会人ほかドラフト5巡目でホークスに入団しました。2年目に二塁手の定位置を掴むと、2010年に59盗塁、2011年には60盗塁を決めて2年連続盗塁王に輝きました。この2シーズンともフル出場を果たし、チームは2年連続リーグ優勝、2011年には日本一にもなりました。

この日までの通算成績は1312試合、1287安打、打率2割7分6厘、15本塁打、347打点、342盗塁です。通算342盗塁は今季現役選手の中で3位、歴代21位タイに相当します。ベストナイン1度(2011年)、ゴールデングラブ賞(2010年、2011年)も獲得しました。

以下、会見の要旨です。

――今の心境は?
「正直この日が、今来るかと。それが率直な気持ちです。まだこの場にいることが自分でも信じられない。同時に13年間の思いが走馬灯のように思い浮かんでいます」

――色々なお気持ちがあると思います。
「後悔はないです、今は。13年間の思い出といえば、きつい時、苦しい時が多かった。嬉しい時の為に13年間やって来たと思います。今、後悔は全くないけど、寂しさはあります」

――決断の理由や時期は?
「プロ13年間やらせていただきまして、2012年に首を痛めました。その後プレーをしてきましたが、それから3,4年は、痛みが出たり出なかったりしました。(痛みが)出れば薬を飲みながらやっていました。しかし去年、そして今年は特に痛みが出る回数も多くありました。やる気はあったけど、体は反対の方向に。痛みが出て自分が納得する動きが出来なかった。それもあり引く決断をしました
決めたくはなかったんですけど、でも決めないといけないのが現実。まだやれる、まだやれるんじゃないかとずっと考えていました。でもやっぱり、首のことを考えると。気持ち的にすごく沈む時期もあった。その思いもあり、決断に至りました」

――ここ数年の思いは?
「全力で元気バリバリでプレーしていた時期もありましたが、出来ない時期でも周りの選手の活躍が凄く刺激になった。1つのプレー、1つの仕事を見て、僕もああしてやってたな、走ってたな、お立ち台に立ってたなと思いました。そして、また立ちたいと思わせてくれた。またあの舞台に立ちたいという一心で、今年は2軍生活を送っていました」

――350盗塁にあと僅か届きませんでした。こだわりはあったと思います。
「はい。今現役選手の中で歴代3位。改めてその数字を見ると、ルーキーの頃思えばよく走ってきたなと思います。でも、やっぱり首の事もあり思うように結果が出ないこともあり、成績不振で2軍行きにもなりました。すべて自分の責任です。350盗塁を達成したい気持ちは100パーセントありました。ただ、考え方があっているかわからないけど、342盗塁でもよくやったと思います」

――周りに相談は?
「もちろん家内、両親、今までお世話になった方に相談というか報告はしました。両親は『あなたの野球人生。親がとやかく言うつもりはない。自分で決めたのなら納得する』と言ってくれました。ただ、家内はその現実を受け入れることが出来ず、悩んだ時期がありました。僕より家内の方が気持ちが沈んだと思います。だけど、いつか決断をしないといけない。相談しながら、いろんな言葉を掛けあい、励まし合いました。お世話になった方では、僕はプロに入った頃から『スラッガー』の野球用具を使っているのですが、担当者が毎日、毎時間のように電話をくれて、気にしてくれた。その人もきついはずなのに、自分のことを盛り上げてくれて、精神的にもカバーしてくれて。その思いもあり決断に至ったと思います」

――周りの言葉は?
「自分を元気づけようとしてくれたのかもしれないけど『よくやった』と。僕は、それは周りが決めることと思っている。その言葉だったり『自分で決めたのなら納得いく』と聞いて、自分のことは自分で決めないといけないと改めて思った。決心できた」

――印象に残るシーンは?
「13年間、たくさんの経験をさせて頂いた。苦しい時の方が印象多いけど、初めて優勝した2010年。最終戦で優勝を決めた時のことは印象に残っている。それと盗塁王を初めて獲得できた。その時が印象に残っている」

――現役生活で大事にしたこと。
「プロ野球だから結果がすべてという方がいる。もちろんそうだと思う。でも準備や練習はプロ野球に限らずいろんな仕事でも大切だと思う。試合前の練習が始まるよりも早く球場に来ていた。ルーティンではないけど、準備の大切さ、大事さを分かっていた。結果ではなく、試合に対する意気込み、準備が大切と思って毎日やって来た」

――それが誇れるもの。
「準備がなければいいパフォーマンスも出来ないでしょうし、自分の気持ちが落ち着かない。その思いでやってきた。自分の為だし、怠ると罰が当たると思って、一日一日を大事にした」

――先輩の杉内投手、生年月日が同じ大隣投手も今季限りで引退します。
「まず先輩である杉内さん。正直ショックは大きかったです。プロでも一緒だけど、中学校からの大先輩。高校、社会人(杉内投手は三菱重工長崎)と全部同じルートを通った。僕が同じシーズンに引退は少し情けないかなと思う。だけどたくさんの教え、ご指導を頂き、特別な思いあります。寂しかったです。大隣も誕生日一緒ということもあり、仲良くさせてもらった。怪我で苦しんだのも見ていた。尚更寂しい。ともに戦ってきた仲間も引退するのは言葉には言い表せないくらいの気持ちもある。今日(10月3日)の(大隣投手の)登板は目に焼き付けたい」

――今後について
「もちろん13年間やらせていただき、ホークスに残れることが一番と思っている。球団としっかり話し合って決断しようと思っている」

――チームメイトへの思いは?
「ホークスは常勝軍団と思っている。強いホークスをさらに強くするために日々精進してもらいたい。選手1人1人、勝とうと思ってやっていますし、性格も野球の仕方も違うけど一致団結となって戦うホークスの素晴らしさを継続していってほしい」

――本多選手はファンも多かった。
「ありがとうございます。プロ野球にはいろんなファンの方がいらっしゃいます。好きな選手はそれぞれ違います。その中で、僕のファンになってくれたファンの皆様。盛大な応援をしてくださったり、自分の時間を削ってでも応援くださった。それを思うと準備を怠れない、ファンの為にと思っていた。試合で拍手を頂きたいから一生懸命パフォーマンスをしていた。応援団、ファンの声援がなければここまで来ていない。良い時も悪い時も『ポンちゃん』と言葉を頂いたことで、自分がここまでやって来られたと思う。ファンの皆さんの力は自分の想像よりすごかったし、素晴らしかった。そのおかげでプレーが出来たと思う」

――今日も球場の周りには本多選手のボードを持った方などがいました。
「(球場に到着して)声は聞こえた。自分の時間を割いてまで来てくださった。感謝の気持ちは常々忘れていないつもりです」

――改めてメッセージを
「応援団、ファンの皆様。叱咤激励、応援していただき誠にありがとうございました。
ありがとうや感謝という言葉では示せないくらい、本当にお世話になりました。この先の人生はどうなるか分かりませんが、本多雄一をよろしくお願いします」

――思い出に残っている盗塁は?
「2010年の片岡さんとの同じ数字の盗塁王。初めての盗塁王の瞬間は、忘れません」

――引退試合について
「最後の1試合になると思うと寂しい。だけど、今まで野球をしてきて、心の底から楽しいと思ったことはそんなにない。最後の引退試合は思う存分楽しんで、感謝の気持ちを持って、試合に臨みたい」

また、会見が終わると、同級生の長谷川勇也選手が花束を持って登場しました。会見では涙を浮かべながらもずっと我慢していた本多選手も、顔をくしゃくしゃにして大号泣。「我慢できたと思ったのに、ハセが来るから。あれはダメです」と目も顔も真っ赤にしていました。

6日(土)、本拠地ヤフオクドーム最終戦のライオンズ戦で、本多選手の引退試合ならびに、最終戦セレモニー後に本多選手引退セレモニーを実施する予定です。

2018年10月3日掲載
田尻 耕太郎(スポーツライター)

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