2020/02/12 (水)
お知らせ

野村克也元監督の訃報について

南海時代に選手、監督として活躍された野村克也元監督が2020年2月11日(火)ご逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。

野村元監督は、京都府峰山高校からテスト生として、南海ホークスに入団。
1961年から8年連続でホームラン王、1965年には戦後初(史上二人目)の三冠王に輝くなど、南海ホークス黄金時代の中心的選手として活躍されました。
1970年からは、選手兼任監督として8年間チームを率い、1970年には2000本安打達成、72年には打点王獲得など選手としても主力で有り続けながら、1973年にチームをリーグ優勝へ導き、作戦面では、先発・中継ぎ・抑えの「投手分業制」を定着させるなど野球界の発展に大きく寄与されました。

通算3,017試合出場、657本塁本、2,901安打本、1,988打点はいずれもNPB歴代2位の大記録であり、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回など、数々のタイトル・表彰に輝き、1989年には、野球殿堂競技者表彰により殿堂入りされております。

福岡ソフトバンクホークス一同、偉大なるOB・野村克也元監督のご冥福をお祈りいたします。

王会長

「同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友。ノムさんもいなくなっちゃうというのは、本当に残念でならない。お互いに理解をして認め合い、尊敬もしていた。感覚プラス頭脳で結果をだし、監督としても選手としても成功した。自分の持てるものすべてをどう結果につなげるかというのがノムさんの野球。今の時代に『野村野球』は十分受け継がれているし、野村イズムはこれからも生きていくと思う。」

工藤公康監督

「昔から野村さんの本を読んで勉強した。お話も聞いて学んだこともあります。本当に野球界にとって、まだまだこれから私も含めてたくさん勉強しないといけない方で、残念でなりません。野村さんの本が僕の野球勘を養う全てでした。たくさん勉強させていただいて、今に役立っていると思います。解説をやっているとき『早くユニホームを着て、若い人たちを育てるぞ。もっと野球を学びなさい』と言っていただきました。ご冥福をお祈りします。」

甲斐拓也選手

「(訃報に接して)本当にびっくりした。キャッチャーにとって一番大事なものは何ですかと訊いたことがあって、その時に『捕手はピッチャーを支える存在。功は人に譲れ。そういうポジションだから』と。その言葉は今も大事にしています。(故・野村元監督の背番号である)19番を着けたユニホーム姿を野村さんに直接見てもらいたかった、見せたかったなと思います。直接お話を聞いて、背番号を見せられないのは寂しいです。いい姿を、どこかで見てもらえるように、この19番を背負って、これからしっかりと頑張っていきたい。」

写真は、2013年「LEGEND HAWKS CEREMONY」にて、王貞治会長(左)、門田博光(右)さんと。

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