2022/09/23 (金)
選手

明石選手が引退表明会見「19年間ホークスで野球をして、ホークスで引退できたのが誇り」

9月23日(金・祝)、明石健志選手がPayPayドーム内のプレスカンファレンスルームで会見を行い、今季限りでの現役引退を表明しました。

明石選手は北海道出身の36歳内野手。山梨学院大学附属高校から2003年ドラフト4位でダイエーホークスに入団しました。現在のプロ野球界で、ダイエーのユニフォームを着た経験のある唯一の現役野手です(投手では和田毅投手)。

入団当初から類まれな打撃センスと身体能力の高さは目を引くものがあり、高卒ながらプロ1年目の2004年5月2日の近鉄バファローズ8回戦(大阪ドーム=現京セラドーム)の八回表に代打で出場して一軍デビュー。なお、その打席で右中間三塁打を放ちプロ初安打もマークしました。

内外野を守れるバイプレーヤー、そして勝負強い打撃も武器にして、2012年には135試合に出場して規定打席をクリア。2015年、2017年もシーズン100試合以上出場を果たしました。
一方でたくさんの怪我とも戦ってきました。3年目には右肩痛で手術。その後も右手骨折、左足甲の大怪我、右膝負傷、そして腰痛‥‥‥。
何度も何度も立ちはだかる苦難。心が折れかけても、その度にどうにか踏み止まって、乗り越えてきました。プロとしてのコンディション管理を徹底。そのため、年齢を重ねても身体能力の高さはずっと変わりませんでした。それを証明したのが2019年4月25日のオリックス・バファローズ戦。0対0の延長十回裏、右翼ポール直撃のサヨナラ3ランを放ちました。そして、ホームベースをナインが囲む中で、明石選手は力強く地面を蹴ると、華麗にバック宙ホームインを決めてみせたのです。「プロに入る前から秋山(幸二)さんに憧れて、いつかサヨナラホームランを打った時には、自分もバック宙をしてみたいと思っていました」とその時に話していました。
プロ19年目の今季は、6月24日(金)の北海道日本ハムファイターズ10回戦(PayPayドーム)で、史上515人目となるプロ通算1000試合出場を達成していました。ここまでの通算成績は1007試合出場、2566打数647安打、打率.252、17本塁打、213打点、93盗塁、出塁率.309です。

以下、引退会見の主な一問一答です。

引退を決めた理由

「皆さんが見ての通りだと思うけど、この何年間は自分自身、物足りなさを感じるシーズンが多かったですし、力不足といえばそれまでですが。それが引退を決めた理由です」

どんなところで感じた?

「走攻守において物足りなさは感じていたが、やっぱりその打撃とかでも、150キロのボールをはじき返せなくなったなとか、もっと早く反応しないといけないのにボール球を振ったり。走っても以前とは加速もキレも違う。それも大きな要因です」

度重なる怪我もあった。腰も痛めました。

「試合に出る以上、良い状態を保ちながらやりたいと思うのが選手。なるべく治療に時間を割いて、出来る限りの良いパフォーマンスを出せるようにしていた。だけど、この世界は簡単ではない。悪いところがあれば、おのずと結果が出なくなる。腰の怪我については、誰が悪いとかではなく、僕がやってしまった。この世界は自分の責任だと思っています」

いつ、どんな形で決断を?

「僕は自分から『引退します』という選手ではないと思う。最後まで頑張りたい気持ちがあった。でも、もう無理だと思ってしまった。メンタルと言いますか、ちょっと足りなかったと思うところです」

葛藤があったはず。

「正直、本当に、辛いのは辛かったですが、その中でもパフォーマンスを出したいというのが大きかったんで‥‥‥、まあ難しいですね、そこは」

引退を決めて、誰に報告を?

「妻に、まずは伝えました。野球をやめようかなと思うと話すと、よく頑張ってくれてありがとう、お疲れ様、と言われました」

家族の支えは大きかった。

「妻からしたら、大きい子供がもう1人いるようなものだったと思うので。でも僕の気持ちを伝えられて、すっきりした」

球団関係者などにも報告は?

「両親、妻の両親。そのあとにお世話になった人、僕にかかわってくれた方々とかいろんな人に連絡をさせてもらいました。19年間お疲れ様、寂しいけどよく頑張ったねという言葉をかけてもらいました」

思い出のプレーは?

「色んな所でずっと言っていますけど、千葉マリン(ZOZOマリンスタジアム)でのサヨナラエラーが一番印象に残っている。あの時も優勝争いをしていて、それでエラーをしてしまった。でも、そこから考え方が変わった。自分を見つめなおしたりして、そこからちょっとは強くなれたかなと。野球人生を左右するといいますか、分岐点だったと思う」

どのように向き合った?

「野球選手に限らず、他のスポーツもそうだと思うけど、自分の弱さを認められないとステップアップはできないと思うんです。あそこで初めて、そういうのにぶち当たって、僕は考え方や取り組み方が変わっていった」

怪我との闘いもあった現役生活でした。

「本当に怪我が多くて、そのたびに『もう一回頑張る』って思って、やってきました。やっぱり一軍でプレーをしたいという思いを持って、乗り越えてやってこられた」

ほかに印象に残るプレーは?

「バック宙できたのも本当に思い出にあります。小さい頃からテレビで見ていた秋山(幸二)さんがああいうバック宙をやっているのを見ていたので、プロ野球生活でできたのはいい思い出です」

あの時の気持ちは?

「嬉しいしか言葉がないけど、良いチームメイト、先輩や後輩に恵まれて、その中で野球ができたと思います」

平成最後のホーム試合でもあった。

「それはたまたま。平成最後とか、節目でできたのは嬉しく思います」

またバック宙を見たい。ハリー君に入ってとか?

「球団からそんな打診があれば(笑)」

1打席で19球粘った日本タイ記録もありました。

「記憶にあります。札幌ドームで、武田(翔太投手)が初先発だったと思う。僕もあの時は打率3割目前くらいで、粘ったというよりも前に飛ばなかったというのが正解だった(笑)。でも、投手に1球でも多く投げさせるというのは目標でやっていた。ああいう打席が毎回できたわけじゃないが、それを一生懸命目指していた」

守備ではホークスのユーティリティプレーヤーの先駆者でした

「守備は、サヨナラエラーから考えも変わった。チームの勝敗にかかわる。(ミスが)投手にもチームにも迷惑をかけてしまう。鳥越(裕介)コーチ(現千葉ロッテ二軍監督)には練習に付き合ってもらって、もうこういうことがないように、たくさん一緒に練習してもらいました」

今のホークス、若手も含めてユーティリティプレーヤーが多いです。感じることは?

「僕以上に高いレベルでやっていると思う。試合に出るチャンスがあるなら、みんな頑張ってほしい。本当なら1つのポジションを守り続けるのが、いいというか、そこを目標にしてやっていると思う。それでも色々守れて、同じレベルで守れるなら1つの武器。守れるならやれた方がいい」

19年間の現役生活で誇れるものは?

「大した成績ではないと思います。誇れるのは19年間、ホークスで野球をして、ホークスで引退したこと」

チームへの愛着も

「ダイエーホークスに入った時、すごい選手ばっかりで、本当にここでやっていけるのかなと思ったのが始まりだった。それでも大した選手でもない僕を、本当にここまで長く在籍させてもらって、ホークスには本当に感謝しかない」

家族へ

「もう一言しかなくて、こんなわがままな僕を、支えてくれて勇気づけてくれて、愚痴も聞いてくれて、本当に感謝しかありません。妻や子供、家族の喜んでいる姿や顔を見たいとずっと思ってやってきた。それを見せられなくなるのはちょっと寂しいけど」

ファンのみなさんへ

「応援していただき、勇気をいただき、本当にありがとうございました。つらい時、リハビリの時、良い時も、背中を押してもらうことしかなかった。19年間本当にありがとうございました」

そして9月24日(土)の千葉ロッテマリーンズ戦の試合終了後、明石選手の引退セレモニー、ならびに記念グッズ販売を実施いたします

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