往年の名選手

名前
フレーズ
高校時代は投手。マウンドからアッという間に走って、離塁の大きい2塁走者を刺したというウソのようなエピソードの持ち主。29年12月のテストで入団。
その俊足を買われて野手に転向、遊撃手と外野手で22シーズン南海の中心選手として活躍した。
愛称はチョロ。年中動いている様子を的確にとらえているが、36年から連続5年盗塁王。福本(阪急)出現以前の盗塁といえば、広瀬の代名詞だった。リードの大きさが3メートルと75と抜群。2塁盗塁はスライディングすることがほとんどなかった。盗塁成功率8割3分。
稲尾の1塁けん制のヒントに"三角形安全地帯"があった。首を右にひねって視野に入る足首(大きなリード)をけん制するとアウトにできる。
広瀬はこれを逆用して、上半身は1塁方向にそらせ、足だけ大きくリードして稲尾をだまし、まんまと盗塁した。
3塁打を打って2塁をまわる時の速さは、まさに無人の野を行くおもむきがあった。

投打

右投右打

生年月日

昭和11年8月27日生

経歴

大竹高-南海(31~55年)

獲得タイトル

首位打者39年、盗塁王36・37・38・39・40年(5年連続)

名前
フレーズ
鶴岡が法政に入学した昭和9年は1シーズン制で、若林が主将。法政は春、秋通じて優勝した。トップ右翼戸倉、2番捕手藤田宗、4番森谷、遊撃には中村信、投手に劉と、のちにプロ入りする顔がズラリと並んでいた。その中で、鶴岡はいきなり3番を打った。秋のシーズン前は、肩をこわしているといううわさがあって、活躍をあやぶまれたが3塁手としてデビューすると、肩のことなど感じさせない名プレーを見せた。
打球に対するカンがすこぶるよく、ダッシュして捕るとそのままアンダースロー気味の送球をする。一見スローモーションのように見えて、結構走者をアウトにする。あぶないと思うのがアウトになるので、大いに拍手が沸いた。
南海入りした1年目から主将で、ホームラン王に。戦後、プロ野球が復活するとすぐ選手兼任監督としてチームを優勝に導き、最優秀選手2回。2リーグになってからパ・リーグ優勝の常連だったが日本シリーズで巨人に敗れつづけていたが昭和34年、エース・杉浦を得てついに「日本一」に。「涙の御堂筋パレード」といわれた。

投打

右投右打

生年月日

(旧姓・山本)大正5年7月27日生

経歴

広島商-法大-南海(14年)-近畿日本・南海(21~43年)

獲得タイトル

最高殊勲選手21・23・26年、本塁打王14年、打点王21年

名前
フレーズ
昭和34年。南海は巨人と日本シリーズ5度目の対決で宿願を果たした。4勝0敗のストレート勝ち。その全部を杉浦がかちとった。
悲運の鶴岡一人監督を男泣きさせた最高のヒーロー。このシーズン38勝4敗。防御率1.40。三振奪取336。もちろんリーグMVP。しかし日本シリーズ4連投は、楽投だったのではない。指のマメがつぶれ、むけた皮から血が流れていた。1球投げると白球が血に染まり、捕手野村の方が顔面を蒼白にした。杉浦はその中を投げぬいた。「ボクの腕の1本や2本どうなってもかまいません。南海へ入団した時から巨人を倒すことだけを考えてきたんです」
33年入団の時、狙った長嶋に巨人入りされた鶴岡監督は不安になり、杉浦にも思わず「君は大丈夫だろうな」といった。「ボクがそんな人間に見えますか」杉浦のこの言葉が2シーズン目で鶴岡を日本一にした。
40年、右腕動脈閉塞になってエースの座をおりた。しかし旧友長嶋の巨人を倒した勝利だけでも、杉浦の心は十分燃焼できたのだろう。「南海ホークス」最後の年の監督でもあった。

投打

右投右打

生年月日

昭和10年9月17日生

経歴

挙母高-立大-南海(33~45年)-南海・ダイエー(61年~平1年)

獲得タイトル

最高殊勲選手34年、最優秀投手34年、最優秀防御率34年、最優秀勝率34年、最多勝34年、新人王33年

名前
フレーズ
王監督が現役を去るとき、こういい残した。「現役で本当にホームラン打者らしい選手は門田、ただ一人だ」。
45年、ドラフト2位で南海入団、翌年、打点王(120打点)。クラレ岡山時代にはじめたウエイトリフティング、ボディビル。80キロのバーベルをこともなく持ち上げ、1200グラムのマスコットバットでフリー打撃。ポパイ、怪物・・・の異名がつけられた。
だが、54年大方キャンプで右足アキレス腱を切断。再起不能といわれプロの世界を去る覚悟もした。が、強じんな体力を持つ男は心もはかり知れない強さを秘めていた。翌55年、奇跡的にカムバック。そして41ホーマー。56年、本塁打王。だれもが「門田はこと切れた」と思った直後の信じがたい復活であった。
パワーだけでなく、"世界の王"も一目おくバッティング・センスとテクニックも抜群。 40歳で44本打ってホームラン王、同年また125打点で打点王、いずれも「年長記録」だ。指名打者としても最多出場記録、56年7月の月間ホームラン16本(それも16本目は左腕投手からの満塁ホームランだった)も当分破られそうもない記録だ。

投打

左投左打

生年月日

昭和23年2月26日生

経歴

天理高-クラレ岡山-南海(45年~63年)-オリックス(平1~2年)-ダイエー(平3~4年)

獲得タイトル

打点王46年、本塁打王56・58年