~80年の歴史を振り返る~
1938 - 1946
1941
4位
1942
6位
神田投手、2年間で49勝。(翌43年21歳で 没)
1943
8位
1944
6位
チーム名を「近畿日本」と改称。
1945
戦争激化のため、公式戦中止。
南海ホークス
1947 - 1988
1952
1位
最終戦で勝ち1ゲーム差のリーグ優勝。
1953
1位
初のリーグ3連覇も、日本シリーズは3年連続巨人に敗れる。
1955
1位
シーズンのチーム最多勝利記録、99勝をあげてリーグ優勝。
1956
2位
大型打者を集め「400フィート打線」と喧伝される。
1957
2位
野村克也選手、30本塁打を放って初の本塁打王に。
1958
2位
杉浦忠投手、27勝で新人王に。
1960
2位
打線低調で連覇ならず。
1961
1位
2年ぶりのリーグ優勝。
1962
2位
1963
2位
1964
1位
スタンカ投手が日本シリーズ史上初の3完封で日本一。
1965
1位
リーグ連覇、野村克也選手が戦後初、史上2人目の三冠王に。
1966
1位
3年連続11度目のリーグ優勝。
1967
4位
パ・リーグ初のBクラスに転落。
1968
2位
同率で迎えた最終戦に敗れVならず。23年間監督を務めた鶴岡監督が辞任。
1971
4位
門田選手が2年目で打点王に。
1973
1位
パ・リーグ前後期制を採用、1位に輝く。
1975
5位
1979
5位
1982
6位
1985
6位
1986
6位
1987
4位
10年連続のBクラスに。
1988
5位
門田選手が不惑の年に本塁打・打点で2冠を達成。南海ホークス終焉。
福岡ダイエーホークス
1989 - 2004
1990
6位
球団史上最多の85敗を喫する。
1992
4位
平和台球場ラストイヤーは4位に。最終戦は若田部投手が野茂投手に1-0で投げ勝つ。
1994
4位
秋山幸二選手がトレードで入団。
1995
5位
王貞治氏が監督に就任。2年目の小久保選手が本塁打王を獲得。
1996
6位
日本記録となる19年連続Bクラスに。
1997
4位
1998
3位
21年ぶりのAクラスに。
1999
1位
悲願のダイエー球団としての初優勝、そして日本一に。
2000
1位
リーグ連覇。松中選手、小久保選手のMKコンビで64本塁打・211打点。
2001
2位
チーム203本塁打、小久保選手、松中選手、井口選手、城島選手が30発90打点以上をクリア。
2002
2位
秋山幸二選手がこの年で現役引退を表明。
2003
1位
斉藤投手が20勝3敗でブレーク、16連勝も達成。史上初の100打点カルテット誕生で4年ぶりの日本一。
2004
2位
松中選手が平成唯一の三冠王を獲得。シーズン1位もプレーオフに泣き優勝逃す。
福岡ソフトバンクホークス
2005 - 80th
2006
3位
プレーオフで悲劇のサヨナラ負け。エースマウンドに崩れる。
2007
3位
2008
6位
シーズン最下位、王監督が辞任し秋山監督誕生へ。
2009
3位
2年連続での交流戦優勝、攝津投手が新人王を獲得。
2011
1位
ソフトバンクとなって初の日本一に輝く。日本シリーズでは『森福の11球』が生まれる。
2012
3位
チーム防御率は2年連続TOPもシーズン3位に。
2013
4位
秋山監督になってから初めてBクラスに。
2014
1位
最終戦の直接対決、松田選手のサヨナラヒットでリーグ優勝決定。そして日本一へ。秋山監督退任。
2015
1位
工藤監督が就任。2年連続7度目、球団史上初の日本シリーズ連覇。
2016
2位
筑後市にHAWKSベースボールパーク筑後誕生。シーズン終盤に日ハムの猛追を受けリーグ2位に。
2017
1位
パ・リーグ史上最速のリーグ優勝決定、2年ぶりの日本一に輝く。
2018
80th
福岡ソフトバンクホークスは、球団創設80周年となる2018年を、
歴史あるホークスを支えて頂いたファンの皆様とのつながりの積み重ねに感謝をしつつ、
ホークス自身が一世紀以上の長きに渡り存続することのできる球団づくりを見据えて、
どのような存在を目指すかを考え、それへと向かう挑戦の始まりの年と位置づけています。
また、実際に選手が「球団創設80周年記念ユニフォーム」を着用し試合に臨む
「レジェンドデー」を開催(月1回を予定)し、球団OBによるイベントなどで盛り上げます。