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| 5回を終え「1,500試合出場」を果たした松中選手は花束を掲げファンに応える |
松中信彦選手が復帰1号だ。5回裏の2打席目。オリックス木佐貫投手から右翼ポール際へ、ファウルに切れずスタンドインする松中選手らしい放物線で、194日ぶりのアーチ。昨秋右ひざ手術で開幕2軍スタートした主砲が、自身の1,500試合出場に花を添えてみせた。試合は3安打と打線が振るわず1-4と完敗。ホーム開幕カードに負け越したが、主砲の“開幕”で出直しする。
松中選手だけの弾道だった。オリックス木佐貫投手の内角高めスライダーが胸元厳しいゾーンにきた。重心を左足に残し、ひじを抜くようにさばいた。打球にはフェード回転がかかる。切れそうで切れない。右翼ポール際。打席内でバットを握ったまま、着弾点を見守った背番号3がゆっくりと走り始めた。今季1号。昨年9月15日オリックス戦以来、194日ぶりの感触だった。
松中選手「うまく打てました。あれができればいいです。あとは直球をとらえられるようになれば。感慨?ようやくスタートしたな。これからという気持ち」。
信じた道を貫いてきた。ただ、ひたすらに、地道に。昨秋に右ひざ、左ひじを手術。昨年12月に早々とグアムでリハビリを始めた。年明け1月に再びグアムへ。バットは握ることができず、単調なリハビリメニューの繰り返しだった。2月キャンプも別メニュー。練習内容もその日の状態次第だった。それでも、下を向かず、必死に1日1日を戦った。調整が遅れ、13年ぶりの開幕2軍も味わった。さすがにショックは受けたが、この日試合後に1時間の特打を行ったようにバットを振り続けた。「練習しないと結果は出ない。誠一さん、立花さんに投げてもらって…」。打撃投手と打撃コーチに感謝する言葉も自然と出た。
1,500試合出場を達成した。レギュラー奪取は99年。新人からの2年間、才能は開花しなかった。だが、2軍で腐ることなく、連日の特打、ティー打撃、ロングティーで3冠王への礎を築いた。「練習はウソをつかない」。その言葉通りの歩みが凝縮されたひと振り。節目ゲームと重なったのも何かの偶然だろうか。
開幕2軍が決定した今月16日。秋山幸二監督と2人で話した。新たな照準は、26日本拠開幕戦となった。秋山監督が、その意図を話したことがある。「俺は監督として体が万全でない選手を起用することはできない。勝つことがすべてだから。それと、もう1つは松中にとっても最善だと思う。選手にとってシーズンのスタートは重要。一番いい状態で迎えないと、後々ひびく」。1軍昇格の決め手となったのは、松中選手の「行けます」という言葉だった。
開幕から6試合でチーム打率は1割9分3厘。この日も試合は勝てなかった。松中選手も「1打席目に直球に詰まった。自分の中ではまだまだ。早く戦力になれるように」と言った。ファンの期待は大きくなる。この日の復活アーチを見れば、誰もが、完全復調は近いと思うだろうから。
チーム開幕4試合目となった26日オリックス戦。主砲はその朝、自宅で赤飯と尾頭付きのタイを食べて球場入りした。例年通りの開幕戦に臨む前の儀式。一週間近く遅れたとはいえ、昨季まで同様に神妙な気持ちで自身の開幕に臨んだ。
しかし、ひとつだけ昨季までとは違う事があった。開幕前夜には例年、1年間の活躍を胸にバットを抱いて眠る。だが25日は、その商売道具を自宅へ持って帰るのを忘れた。打撃を急ピッチで仕上げ緊急昇格。ドタバタのシーズン突入だった。「そんな開幕もあるよね」。恵子夫人から明るく声をかけてもらい、14年目が始まった。
結果は3打数無安打。前日27日も快音なし。試合後は、約2時間ほぼノンストップでバットを振り込むと「明日(28日)は何かあるでしょう」と言った。この日は有言実行のアーチ。「これからはガンガンいきます」。いつもとは違った開幕を経ての1発。主砲の10年シーズンが開幕した。
通算1,500試合出場=松中選手 28日のオリックス3回戦(ヤフードーム)に先発出場して達成。プロ野球168人目。初出場は97年5月31日の西武9回戦(福岡ドーム)。