ホークスの歩み
昭和34年(1959年)
勝率.905でチームを優勝に導いた杉浦忠投手

勝率.905。この驚異的な数字を残したのは、杉浦だった。38勝してわずか4敗。防御率1.40の1位。勝率、最多勝、と頂点をきわめ、優勝の立役者となった。最高殊勲選手も当然の結果だった。52イニング3分の2の連続無失点、336奪三振のリーグ新と記録も多岐にわたる。南海は超人・杉浦に続き祓川18勝7敗、皆川10勝6敗、サディナ10勝10敗だったが、ここぞと思うときには、杉浦が投げてきちんと星を残した。
打線は杉山が.323で初の首位打者。広瀬.310の4位、穴吹.287の10位。大型化も野村21、穴吹15、寺田13ホーマーと順調に育った。夏場に1度ピンチがあったが、そこを乗り切ると完全優勝へまっしぐら。西鉄、阪急の不振もありライバルは大毎だけ。巨人と同じように、チームワークに乱れがなく、4年ぶりの優勝をものにした。

(画像左)
打率.323で初の首位打者となった杉浦光平
(画像中央)
皆川陸男投手
(画像右)
ベストテン4位の広瀬叔功外野手(右)
パ・リーグ成績
順位 | チーム | 南 海 |
大 毎 |
東 映 |
西 鉄 |
阪 急 |
近 鉄 |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
引 分 |
勝 率 |
勝 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 南海 | - | 14 | 171 | 162 | 211 | 20 | 134 | 88 | 42 | 4 | .677 | - |
2 | 大毎 | 12 | - | 14 | 195 | 171 | 20 | 136 | 82 | 48 | 6 | .631 | 6.0 |
3 | 東映 | 91 | 12 | - | 14 | 163 | 161 | 135 | 67 | 63 | 5 | .515 | 21.0 |
4 | 西鉄 | 102 | 75 | 123 | - | 171 | 203 | 144 | 66 | 64 | 14 | .508 | 22.0 |
5 | 阪急 | 51 | 91 | 101 | 91 | - | 15 | 134 | 48 | 82 | 4 | .369 | 40.0 |
6 | 近鉄 | 6 | 6 | 10 | 63 | 11 | - | 133 | 39 | 91 | 3 | .300 | 49.0 |
シリーズ最高殊勲選手賞の自動車に乗ってファンに帽子を振ったとき、杉浦の右手の指からは血がにじんでいた
立大時代からの親友同士、杉浦-長嶋対決も大きな話題に
"敵地"後楽園球場での杉浦投手の胴上げ
5度目の対決でついに巨人を倒しチャンピオン・フラッグを手に感無量の鶴岡一人監督
一時は「ナンカイ戦っても勝てぬナンカイ」といわれ、その屈辱から立ち上がった鶴岡監督(右)と巨人・水原監督決意の握手
優勝決定直後のインタビューで「ひとりになりたい」とつぶやいた杉浦投手

大阪球場の第1戦は、巨人義原、南海杉浦だった。エース対決を避け、藤田温存の水原采配には、自然と弱気が漂っていた。義原は、しかし、1回も持たなかった。わずか6打者、1死をとっただけ。南海の鮮やかな速攻は、半田の3ゴロ失から始まった。広瀬、大沢、野村が集中打を浴びせ、義原をKO、別所がリリーフに立った。その別所にも、南海は容赦せずに襲い掛かり、早くも5点を先行する。3、5回に岡本が連続本塁打を別所から奪い、前半で7-0。巨人も後半反撃したが、10-3になった9回、代打策でベンチへ引っ込んだ杉浦に代わった祓川、皆川が打ち込まれ一挙4点を献上したまで。過去、日本シリーズで4度対戦して4度とも巨人の軍門に下っている。そのたびに鶴岡監督は、超人的なエースとパワフルなバッティングが不可欠だと思った。そしていま、その条件は整った。
第2戦、巨人は満を持してエース・藤田を先発。南海は田沢。公式戦2勝0敗、明らかに継投を意識した鶴岡用兵である。果たして田沢は、いきなり長嶋に2ランホーマーを喫して、2回から三浦。打線は藤田に執拗に食い下がる。4回無死満塁に長谷川が、藤田の初球を右翼線にタイムリーして同点。さらに野村の内野ゴロ、寺田の適時打で4-2と逆転した。こうなれば杉浦。6回にも岡本、寺田が打って2点。投打の歯車がかみ合っての6-2だ。7回、巨人は杉浦から、王の2塁打を足がかりに、森の安打で1点を返した。しかし杉浦はお返しとばかりに9回、王、森、そして代打藤尾を3者3振に切り捨てた。
第3戦は後楽園に移る。移動日があったから当然エース同士の杉浦対藤田。巨人が1回、敵失の走者をおき長嶋が遊撃を強襲して先取点。南海も2回すぐ反撃する。安打の杉山を置いて、野村が中堅越えに、なんと130メートルに達する大ホームラン。あっさり2-1と逆転した。両エースの投げあいはたんたんと続き、9回、巨人は絶好機をつかんだ。坂崎の同点本塁打が飛び出したあと、加倉井の2塁打で1死2、3塁。サヨナラの場面で、水原監督は代打・森。ヒーローは監督でも、エースでもなかった。するすると前へ出てきた中堅手・大沢だった。
森の打球を読み取ったような守備態勢。そこへ、まぎれもなく森のライナーが飛んでいった。がっちりつかんだ大沢は、すぐさま絶好球をホームへ送った。3塁走者広岡は、当たりにつられて、一瞬飛び出してからの再スタート。3塁に戻るその分だけ遅れた。大沢の返球の方が早かったのだ。タッチアウト!巨人の勝機はこれで消えた。
2-2の延長10回、寺田の2塁打が中堅右に決まって決勝点が生まれる。外野守備の巧拙が、明暗を分けた。
第4戦は雨で1日順延され、巨人は雨にたたられる。南海は、杉浦を立てて、一気の4勝狙いだ。あの30年、あと一つ、大手をかけてからの連敗の痛み、失ったものの大きさを肝に銘じて、忘れていないからだ。巨人も藤田に最後の夢を託した。
3回杉山の2塁打で、南海は先行する。7回にも満塁で遊ゴロ失と、森下の犠飛で貴重な2点が追加された。南海は、あとは一直線でゴールへ飛び込むことだ。4連投、4連勝の記録へ向かって、しかし、杉浦にはやる気分はなかった。落ち着いたマウンドさばきは見事といっていい。
4連勝無敗。5回目にして始めて巨人に返礼した南海は、ビッグな成績でシリーズの歴史に新しいページを書き込んだのだった。

当時の南海の主力打者たち。左から広瀬叔功、島原輝夫、杉山光平、野村克也、岡本伊三美、森下整鎮、大沢昌芳、長谷川繁雄

(画像左)
4連勝で優勝決定の瞬間、杉浦投手にとびつく南海選手たち
(画像右)
試合終了直後、チャンピオン・フラッグを背に鶴岡監督の音頭で「カンパーイ!」
日本シリーズ成績
第1戦 10月24日 大阪 | 計 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | 7 |
南海 | 5 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | X | 10 |
杉浦○ 義原● (本)岡本(2)(南)
第2戦 10月25日 大阪 | 計 | |||||||||
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巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 |
南海 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | X | 6 |
杉浦○ 藤田● (本)長嶋(巨)
第3戦 10月27日 後楽園 | 計 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南海 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
杉浦○ 義原● (本)野村(南) 坂崎(巨)
第4戦 10月29日 後楽園 | 計 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南海 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 |
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
杉浦○ 藤田●