2015/09/29(火)選手

松中選手が会見「退団し、ボロボロになるまで…」

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松中選手記者会見

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9月29日(火)、松中信彦選手が会見を開き、今季限りでホークスを自由契約で退団し、他球団で現役続行の道を探ることを明らかにしました。会見は14時から行われ、ヤフオクドーム内のプレスカンファレンスルームには用意された椅子に座りきれないほどの多くの報道陣が集まりました。

松中選手は熊本県出身のプロ19年目。八代第一高校(現・秀岳館高校)から新日鐵君津(現・新日鐵住金かずさマジック)を経て1996年ドラフト2位でダイエーホークスに入団しました。ホークス福岡移転後初優勝を飾った1999年にレギュラーに定着。V2の2000年にはMVPを獲得しました。

2004年には打率.358、44本塁打、120打点で史上7人目(11度目)の三冠王を獲得するなど(同年自身2度目のリーグMVP)、首位打者2回(2004年、2006年)、本塁打王2回(2004年、2005年)、打点王3回(2003年~2005年)、最多安打1回(2004年)、最高出塁率3回(2004年~2006年)、ベストナイン5回(2000年、2003年~2006年)、ゴールデングラブ賞1回(2004年)など数々のタイトルや表彰選手に輝きました。

以下、会見の要旨です。

【冒頭、松中選手からご挨拶】

「わたくし松中信彦は、球団から自由契約選手にしてもらい、今シーズンで福岡ソフトバンクホークスを退団することになりました。ソフトバンク球団には2005年から10年間、大変お世話になりまして、いい思いも悪い思いもありましたが感謝しております。また、ダイエーホークスから19年間、球団や選手そしてスタッフの方々、やっぱりファンの皆さん、九州で、全国で温かいご声援をしていただき本当に感謝をしております。本当にありがとうございました。ただ引退じゃないので、現役続行という形、どうなるかわかりませんが、頑張っていきたいと思います」

【以下、質疑応答形式】

――この決断に至ったきっかけは?
「今年にかける意気込みというか、オフから今年はやるんだ、工藤新監督のもと1軍でやるんだと必死にやってきました。しかし、オープン戦で結果が出ず2軍スタート。その中でチームはものすごい戦いで優勝しました。その瞬間に居られなかったのは19年間で初めての経験。正直悔しい思いもありました。優勝して1軍に上げてもらい、ベンチにいった瞬間『あ、ぼくのポジションは危ないんだ。もう教えることも、全て教えたんだ』という気持ちになりました」

――今季、たくさんのベテラン選手がバットを置かれました。そこでも現役続行の決断はなぜ?
「最後に上げて頂いて、7,8打席ですが、この何年間はボールが見えなくなりそうな時もありましたが、今年に限ればボールはしっかり見えています。体が元気だから続けられる世界ではないのはわかっていますが、正直体は元気だし気力もあります。もっと打ちたい、もっとこうしたらという自分がいる限りは、このまま引退するよりももっとボロボロになるまで野球を続けたほうが後悔しないのではないかと思い決断しました」

――王会長、工藤監督には?
「会長は今お忙しいので、(直接は)今日お話しさせていただきますが、昨日電話で伝えました。『マツが決断したならそれでいい』と言っていただけましたし、工藤監督には『そうか。僕も4球団渡り歩いていろんな野球を見てきた。お前にはものすごくプラスになることがたくさんあるし、もし他の球団でプレーすることがあれば、今後の野球人生にプラスになるから頑張りなさい』と言ってもらいました」

――ご家族にはどのように伝えましたか?
「子供たちは、長男は中学2年なのである程度は覚悟していたみたいですけど。次男三男は、特に次男は『野球やめないで』と言っていました。ただ、まだちゃんと報告していないですけど。嫁には『パパの好きなようにやりなさい』と。『納得するまでやりなさい』ということは言われました」

――このタイミングでの発表は、ファンに松中選手なりの報告をしたいという気持ちがあったから?
「そうですね、19年間本当に、たくさんの声援をいただいて、パワーをもらいましたので、やっぱり最後のホークスのユニホーム姿を1人でも多くの方に見て頂きたいと思ったので、なるべく早く。(シーズンが)終わってからだったら本当に申し訳ないと思ったので、このタイミングで発表させていただきました」

――昨日、今日、アーリーワークで松田選手と楽しそうにロングティーをしていました。後輩に何かを託すようなシーンだと拝見しましたが
「松田が入団してから自主トレも一緒でしたし、口酸っぱくずっと言ってきた。ですけど、やっぱり彼が本当にチームリーダーになったのかな、と改めて。今回1軍のベンチに行ったときに、本当に一人前になった、すごい選手になったと思いました。最後も今日も、明日も、明後日もアーリーワークをやるんですけど、最後に飛距離の競争をして、バトンタッチをしたいなとは思っています」

――後輩達にはどのように伝えますか?
「そうですね、まあ辞めるわけではないので。(10月)1日(のヤフオクドーム今季最終戦)まできょう入れたら3試合、みんなと仲良く、楽しく。仲良くはダメですけど、楽しく、一緒に勝ちたい。そういう気持ちで臨みたいですし、逆に変な気を遣わせないようにしたいです」

――ファンの方からは、当然「ここで終わってくれないか」という声もあると思います。
「僕も入団するときは逆指名でホークスを選んで、最後はホークスで終わりたいという気持ちはありました。けど、やっぱりそれ以上に野球がしたい。悔いのないような野球人生を送りたいというのが一番強かった。本当にファンの皆さんには申し訳ないっていう気持ちもありますけど、少しでも可能性があるのであれば、やっぱり現役にこだわって、もう一回復活する姿をファンの皆さんに見せたいと思います」

――この先について決まっていることは?
「全然、白紙です。今回決まったことが急だったので、これからのことはまだ全然決まっていません」

――それでも現役にこだわった。
「はい。もうボロボロになるまで、自分が納得するまでやりたいと思います」

――チームはこれからクライマックスシリーズ、日本シリーズへ向かっていきます。松中選手がチームに残したものもあると思います。
「僕が常に思うのは、これだけ強くなったのは、やっぱり王会長(のおかげ)だと思います。王会長が小久保さん、僕、城島、井口という選手たちを育て、常勝軍団を作ったと思います。後輩達にはこの常勝軍団を絶対に継続して、伝統として『王野球』というのを継続していってほしい。それだけです」

――本当ならここで終わりたかったという思いも
「まあ、ないと言えば嘘ですけど。これから先を期待して、自分に期待して、何とか現役でいられるように頑張りたいと思います」

――ファンへメッセージを
「本当に19年間、いいときも悪いときもたくさんの応援をしていただきありがとうございました。ホークスのユニホームは脱ぎますけども、可能性がある限り現役を目指して、ボロボロになるまで頑張りたいと思いますので、また温かい声援をよろしくお願いします」

――今後は例えば、NPB以外の海外も検討も
「全く白紙です。今回決断したのがここ1日、2日なので。これから考えると思います」

――ホークスでの19年間で印象に残っている試合やプレーは?
「ダイエー、ソフトバンクでやらせてもらって、そうですね…。2003年の優勝したときは1番の思い出というか、小久保さんが怪我をされて、初めての選手会長ですごい重圧の中で戦って、優勝できて日本一になったこと。僕の中ですごく成長させてもらったシーズンでした。打席では2つありまして、1つは(松坂)大輔から打った3本塁打の試合と、やっぱり2004年から苦しんだポストシーズンの、あの(悔しさを)晴らせた代打の本塁打(2011年CSファイナル第2戦、代打満塁本塁打)が僕の中では印象に残ってます」

――1軍昇格後の、1週間での心の移り変わりは?
「1軍に上がって1軍の投手と対戦して、本当にボールがすごく速く感じたり、ボールが見えなかったりとか、『これはダメだな』という気持ちがあれば多分引退したと思います。ただ、この1週間対戦した中で、昔と違う攻め方というか、縦の変化の体験がすごくあったので、『今までの打ち方と違う打ち方で打たないといけないんだな』というのをすごく感じました。それを『もうちょっとこうしたらチャンスが出て来るんじゃないか』というのが、すごく自分の中で芽生えてきた。そういう気持ちが出てきたのなら、そのまま現役で続けてもいいんじゃないかなと、そういう気持ちに変わって行きましたね」

――自分1人ですべて決断したのでしょうか?
「いや、やっぱり正直、妻とは常に話をしながら、いろんなことを話をしながら過ごしてきました。本当にいろいろ相談に乗ってくれましたし、最後は自分で決めるように言われていた。優勝が決まって1軍に上がって、自分の本当の気持ちを確認することができたので、自分で決断しました」

2015年9月29日掲載
田尻 耕太郎(ホークスオフィシャルメディア)

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