2009/11/03 (火)

中原選手、本塁打王の歴史に「中原」の名を残すことを誓った

ホークスにドラフト4位指名された亜大・中原恵司選手が、本塁打王の歴史に「中原」の名を残すことを誓った。2日、同校で小川スカウト部長らが指名あいさつ。今夏の日米大学野球選手権で4番を務め、MVPに輝いた長距離砲は「飛ばすことにこだわりたい」と抱負を口にした。3姉妹である母方の名字「中原」を途絶えさえないため、今年2月に養子縁組で「下平」から姓を変更。「運命を感じる」と話した強打者が、プロの世界に名を刻む。

豪快なアーチで、ヤフードームに「中原」コールを響かせてみせる。ドラフト会議で名前を呼ばれてから4日後の指名あいさつ。中原選手は緊張の面持ちでスカウト陣の期待を聞いた。「頑張ってほしい、と言われました。光栄なことなので、1日でも早く1軍で活躍できるようにしたい」。東都大学リーグ通算9本塁打のスラッガーは目を輝かせ、熱い決意を語った。

亜大のレギュラーに定着した3年秋のリーグ戦までの姓は「下平」だった。だが今年2月。3姉妹の母、圭子さん方の「中原」姓を途絶えさせないため、祖母と養子縁組。姓が変わった。その年でのドラフト指名。中原選手は「運命的なものを感じます。活躍してプロの世界にも、名前を残したい」と意気込んだ。

同学年の仲間からは「恵司」と呼ばれることが多いが、野球部の後輩からは現在でも「下平さん」と呼ばれる。野球部寮の入り口に掛かる名札も「下平恵司」。姓が変わって初めて臨んだ今春のリーグ戦では、オーダーの名前に「だいぶ違和感があった」と苦笑い。それでも、不思議な力に後押しされるようにリーグトップの3本塁打を放った。

次男である中原選手に姓を継がせることは、中原選手が幼い時に亡くなった母方の祖父の遺言だった。「20歳を過ぎて、自分の意志で決めてもらおうと思っていた」と圭子さん。姓名鑑定の専門家などにも話を聞き、09年の変更が吉と判断された。「プロでやれるかも、と自信を持てたのも今年の春季リーグから」と中原選手。7月の日米大学野球で4番を務め、全試合安打(5試合)1本塁打6打点でMVP。一躍ドラフト上位候補に名を連ねた。
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(提供:西部日刊スポーツ新聞社

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