明治神宮野球場で「NPB12球団ジュニアトーナメント KONAMI CUP 2024~第20回記念会~」の大会3日目が行われました。2年連続で準決勝に駒を進めた福岡ソフトバンクホークスジュニアは広島東洋カープジュニアと対戦。1-1の同点でもつれ込んだ延長タイブレークでも決着が付かず、抽選の結果、ホークスジュニアが勝利して決勝進出を決めました。2009年以来、15年ぶりの頂点をかけ、29日に北海道日本ハムファイターズジュニアと戦います。
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 計 |
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カープジュニア | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
ホークスジュニア |
1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
カープジュニア:黒田、丸目、中谷、丸目-岩井
ホークスジュニア:富安、馬原、松永-溝田、富安
息詰まる熱戦の末にホークスジュニアが決勝への切符を掴んだ。準決勝のマウンドを託されたのは富安康成選手。初回先頭に二塁打を浴び、内野ゴロと中犠飛で先制点を許したものの、最少失点で立ち上がりを切り抜けると、すぐさま味方が反撃に打って出た。
1番で起用された外山泰基選手が四球で出塁すると、すかさず盗塁を決めて得点圏へ。続く石田陸人が中前へと弾き返して、外山選手が生還して同点に追いついた。試合を振り出しに戻すと、2回以降、試合はこう着状態に。富安選手は2回以降、1安打も許さぬまま、6回2死まで投げ抜き、カープジュニア打線を抑え込み、2番手の馬原拓海選手も四球で走者を出したものの、無失点で切り抜けた。
ただ、打線もカープジュニアの投手陣をなかなか攻略できず、試合は2日連続の延長タイブレークに。3番手の松永悠希選手は延長7回無死一、二塁、同8回1死二、三塁の場面をどちらも無失点に切り抜ける完璧なリリーフを見せた。ただ、打線も勝ち越し点を奪うことはできず、試合は大会史上2度目の抽選での決着がつくことになった。
8回終了時点で試合に出場していた9人同士がクジを引き合って「○」の多い方が勝者となるこの抽選。ホークスジュニアは5人が「○」を引き当てて決勝進出が決まった。15年ぶりの優勝へ、いよいよあと1勝。頂点をかけてファイターズジュニアと激突する。
そうですね。子どもたちがよく戦ってくれたので、本当にいい試合ができました。本当にカープさんのおかげだと思います。
自分たちの野球をと思って。打順的にもいける打者たちばかりだと信じていましたので、あそこで送ろうとは思っていなかったですね、点数もゼロゼロだったんで。
そうですね。昨日から引き続き、松永くんはコントロールもいいですし、彼のメンタルの強さには頭が下がります。
本当にいつもしんどい場面でばかり投げさせているので、ちょっと申し訳ないですけれども。そこをしっかり抑えてくれるんで、本当頼みの綱ですね。
やっぱりコントロールですね。本人も自信を持っているので、どんなカウントになっても低めに集められます。フォアボールを出すところはなかなか見たことがないです。外角低めいっぱいにしっかり投げてくれます。
複雑ですね、もうこれは本当に運なので。もしかしたらカープさんが勝っていたかもしれないですし、胃が痛くなりましたね。どっちの気持ちもわかるので。
本当にいいピッチャーですし、球数きっちり70球まで行かせました。良かったです。
あそこは(馬原)拓海と決めていました。(富安選手が)70球までいける所までいって、残りはもう拓海と。しっかり準備をしてもらっていたので、代えようと。富安くんが良かったので70球まではいきたかった。
2アウトまでいけたんで、そこで(70球に)いっていたら代えていたのですが。
うちはたくさんいいピッチャーがいますし、これまで通り、みんなで戦うだけです。
ありがとうございます。
ずっと準備はしていましたが、ツーアウトからで緊張はしました。最初はフォアボールになって、これやばいなと思ったけど、その後、2ストライクまで持っていけて。打球はファーストがしっかりグローブに当ててくれてアウトにできたのでめっちゃ嬉しかったです。
ずっと(どこかで)投げると言われていましたが、これまで投げられていなかったので、今日投げることができていい機会になったなと思っています。
4回ぐらいに、『6回にランナー出たら松永がいって、ランナーがいなかったら拓海行くよ』って言われました。
観客席にもいっぱい人がいて、緊張はしたけど投げやすかったので、そこはよかったなと思います。
大会が始まる前に、聞いたことを意識して投げました。前の足を柔らかく使って投げるように言われていました。踏み出した後の足を柔らかくしたら、球に伸びが出るから、と。
ちょっと緊張したから固まってはいたけど、自分では意識したつもりです。
めちゃくちゃ緊張しました。2日分ぐらいの疲れ方でした。
練習でとてもきついトレーニングをやってきた甲斐がありました。
もうドキドキでした。あとはもう運任せでした。
泣きそうになりました。
点を取れないのはしょうがないので、気持ちでいくしかないと思っていました。
もう『頼む!』って願うしかなかったです。(松永)悠希がすごいです、完璧です。
エラーとかをしても落ち込まず、前向きに考えることを意識するようにしています。それはみんなにも言っています。
これはカッコ付けです。
タティスJr.選手です。
プレーも見た目も全部かっこいいところです。
監督に点を取られてもいいから、自分のピッチングをするように言われました。自分のピッチングをすることができました。
次の攻撃で絶対にバッターが打ってくれると思っていたから、気持ちよく投げられました。
はい、楽しかったです。
コントロールに自信があるから不安はなかったです。
思ったよりいけました。
せっかく自分をホークスジュニアに入れてくれて、試合で活躍しないといけないなって思っているので良かったです。
ありがとうございます。
緊張したけど、絶対勝ってやるっていう気持ちでマウンドに上がりました。
いつも通り、初回にちょっと点を取られたけど、そこから切り替えて、自信持って投げれたので良かったです。
眩しかったですね。景色も、日差しも全部眩しかったです。
初回だけ緊張して、次の回からはずっと楽しかったです。
85点です。(残りの15点は)点取られてしまったので。
やっぱりピッチャー陣がよく踏ん張ってくれたなって思います。
前の試合も0点で終われたので、もうあそこは悠希の踏ん張りで、よく抑えてくれました。(松永選手は)平常心でコントロール抜群ですごいと思います。
僕は(交代していて)抽選を引くことはできなかったんですけど、絶対に勝ちたいって、決勝行きたいっていう思いをみんなに送っていました。
決勝進出の立役者は“小柄な大エース”だった。1-1の同点でもつれ込んだ2日連続の延長タイブレーク。ホークスジュニアの帆足和幸監督がマウンドに送ったのは、前日と同じく松永悠希選手だった。「コントロールもいいですし、あのメンタルには頭が下がります」。指揮官も感謝するほどの投球を右腕が披露した。
無死一、二塁で始まるタイブレーク。延長7回、先頭打者を捕邪飛に打ち取ると、後続も遊飛、三ゴロに切って1点も与えなかった。味方打線も無得点に終わると、続く延長8回は先頭打者の犠打で1死二、三塁に。ここで代打の水永選手を空振り三振に仕留め、1番の中田選手も中飛に。全く臆することなくゼロを並べた。
抽選の結果で決勝進出を決めた松永選手は「楽しかったです」と堂々としたもの。好投手の揃うチームにあって安定感は随一で、帆足監督からの信頼も絶大だ。「コントロールに自信があるから不安はなかったです」。ピンチに陥っても動じないその精神力があるからこそ、指揮官も“ここぞ”の場面で右腕を切り札として起用できる。
マウンド上では淡々と投げる松永投手だが、父の重義さん、母の利佳さんによると「野球になると別人になる」という。仲の良い小学校の同級生たちとははしゃぎ回ることもあるが、ユニホームに袖を通せば、そのキャラクターは豹変。所属する八代ジュニアスターズでも九州大会や全国大会への出場経験があり“大舞台慣れ”しているところも、強靭なメンタルに繋がっている。
3兄弟の末っ子で、兄2人の影響で野球を始めた。とにかく野球が大好きで真っ直ぐ。コロナ禍でチームでの練習が制限されている間は、仕事を終えて帰宅した母の利佳さんを連れて、近所の河川敷で日が暮れるまで練習に明け暮れた。練習に付き合っていた利佳さんがチームの監督に「お母さんが上手くなったんじゃない?」と言われたほど。体格は小柄だが、とにかく直向きに練習に励んできた成果がこの舞台で発揮されている。
両親に加え、野球を始めるキッカケになった兄の大輝さん、大和さんもスタンドで声援を送る。15年ぶりの頂点へ。家族全員の思いも乗せて、決勝も重要な局面で松永選手は頼もしいピッチングを見せてくれる。
父は祈るような思いでスタンドから声援を送っていた。「もうドキドキしかないです。いきなりああいう場面での初登板で、結構しんどいだろうなと思いました」。同点で迎えた6回2死走者なしでマウンドに上がったのは馬原拓海選手。スタンドで声を枯らしていた父は、かつてホークスの守護神として活躍した馬原孝浩さんだ。
初回に1点ずつを取り合い、2回以降は両チーム無得点。緊迫した場面で馬原選手に、大会3試合目で初めての登板機会が巡ってきた。1人目の打者に四球を与えたものの、続く打者の打球を一塁手の平井秀虎がグラブに当て、二ゴロに打ち取った。「最初がフォアボールになって、これやばいなって思ったけど、ファーストがしっかりグローブに当ててくれてアウトにできたので、めっちゃ嬉しかったです」。無失点で切り抜け、チームの抽選での決勝進出に貢献した。
「自信を持って投げろ、自信がないなら練習をとことんやれ、と言ってきました。悔いをを残すようなピッチングは絶対にしないようにっていうのは僕も言ってますし、本人も絶対わかっていると思います」。父の教えに応えるように、息子は右腕を振って結果を残した。
馬原選手が野球を始めたのは小学校4年生の夏。それまでサッカーと水泳をしていたが、所属チームの友人に誘われて野球に興味を抱いた。父の孝浩さんは「野球はやらないで欲しかった」と本音を溢す。野球となれば、どうしても口出ししてしまう。さらに、父はホークスなどで活躍した偉大な投手。否が応でも父の名前は付きまとい、重圧になることも容易に想像できる。
馬原選手は父について「野球になったらめちゃくちゃ厳しいです」と明かす。父も「むちゃくちゃ厳しいですね。日本一、練習はやっていると思います、間違いなく。とんでもない量をさせています」という。トレーナーとしてプロ選手もサポートしている孝浩さん。糸島市にある自宅には自主トレができる施設があり、そこで息子は毎日、練習に励んでいる。
野球に関して父が息子に厳しくするには理由がある。「どういう結果を残そうが、いろいろと言われることはある。だったら、みんなが文句言えないようなものを作らないと、本人もかわいそう。どこの立場に立っても困らないように、これをずっと続ければ、とんでもないことになるようなメニューを組んでいます。どこまでモチベーションが続くか分からないですけどね」。父との二人三脚で、野球を始めて2年足らずでホークスジュニアの一員となった。
馬原選手の好リリーフもあって、チームは決勝に駒を進めた。父は保護者会の会長として、ハニーホークの被り物を被って応援団の先頭に立つ。ジュニアトーナメントの頂点は目前。あと1勝で、馬原親子の挑戦も最高の結末を迎える。