年の瀬の恒例行事となっている「NPB12球団ジュニアトーナメント KONAMI CUP 2024~第20回記念大会~」は12月29日、明治神宮野球場で大会4日目が行われました。福岡ソフトバンクホークスジュニアは北海道日本ハムファイターズジュニアに5-1で勝利し、2009年以来、15年ぶりの優勝を手にしました。就任6年目となった帆足和幸監督にとっては初の栄冠に。20回目の記念大会を制して、ホークスジュニアが歴史に名を残しました。
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 計 |
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ファイターズジュニア | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
ホークスジュニア |
0 | 0 | 5 | 0 | 0 | X | 5 |
15年ぶりに歓喜の時が訪れた。4点リードで迎えた6回。3番手でマウンドに上がった松永悠希選手がファイターズジュニアの代打・山田選手を一ゴロに打ち取った瞬間、ホークスジュニアが16チームの頂点に立った。マウンドにナインの輪が出来上がり、全員で右手を突き上げた。
帆足和幸監督に直訴して決勝の先発に抜擢された平井秀虎選手は4回途中まで1失点と好投した。2回に四球と死球で無死一、二塁のピンチを迎えたが、ショート山﨑海和選手の落ち着いた守備で北川選手を遊ゴロ併殺に仕留めて無失点で切り抜けた。バックが堅い守備で投手陣を支え、流れを引き寄せた。
試合が大きく動いたのは3回の攻撃だった。石田陸人選手が遊撃手の失策で出塁すると、佐々木銀侍選手が左翼への二塁打で続く。1死二、三塁のチャンスで、キャプテンの4番・山﨑選手が中前適時打を放って先制に成功。さらに今西優成選手が中前適時打を放つと、中堅手が後逸する間に全員が生還し、一気に5点のビッグイニングを作った。
平井選手は4回に連続四球などで1点を失い、なおも1死一、二塁とピンチを迎えるも、坂本選手を空振り三振。ここで2番手・溝田将司選手が継投すると、尾西選手を空振り三振に仕留めて窮地を脱した。4点のリードで迎えた最終回は松永選手が3者凡退に。堅い守備力を武器に、15年ぶりの日本一をチーム一丸となってつかみ取った。
ありがとうございます。
6年間という長い歳月をかけてずっと日本一を目指してきました。やっと、この子たちがそれを叶えてくれて本当に感謝しています。
本当に成長が早くて、しっかりお互いにコミュニケーションをとりながら成長してくれていたので楽しかったです。
ピッチャーがしっかりゲームを作ってくれるので、いつもウチは守りから。それがしっかりできたんじゃないかなと思います。
そうですね、あそこをしっかり守ってくれる。ゲッツーも取れましたので、大きかったですね。
今回MVPとかは取れなかったですけど、今日に限らず全ての試合でそれに値するぐらいの活躍をしてくれたと思います。
ウチは誰が(先発で)行ってもいいくらい先発できる子がたくさんいましたし、そんなに(力が)変わらない。誰が行っても恥ずかしくないようなピッチャーばかりなので、自信を持って送り出していました。
自分で決勝に投げさせてくれって言ってきたので、その気持ちを買いました。
2連勝した後ですかね。決勝投げさせてくれって自分で言ってきたので。他にもいいピッチャーはいるので、準決勝は他のピッチャー(富安)で行きました。
投手陣の中で支柱です、彼が。彼がいるから安心してみんな投げられると思うし、彼がマウンドに立つと、守備陣も「よしいける」って多分なっていたんじゃないかなと思います。
長かったですね。長かったですし、勝つって難しいです。本当にいろんなことを勉強させてもらいました。
どうですかね、全ての積み重ねでここまで来られたと思っていますし、全ての子どもたちに色々な勉強をさせてもらって、本当に子供たちのおかげです。
子どもたちの大会ですけれども、この子たちにとっては本当にすごく大きな大会だと思うし、人間としてもすごく成長できる大会だと思います。その中で一緒に、近くで子どもたちを見られるっていうのは僕にとってもすごくプラスになりました。
チームを作っているときは日本一を目指して頑張っているけど、子どもたちの成長が見られることが一番楽しいです。教えていても飲み込みが早いですしね。
本当にそうですね。もう本当に全員頑張ってくれました。
守備からです。結構打てるチームだと思ってるでしょ?本当、オープン戦では打てていないですからね。守備からです、ウチは。
めちゃくちゃ嬉しいです。
自信があったので、絶対に勝つぞっていう思いで直訴しました。
そんなに緊張はしませんでした。後ろも守備がめっちゃ上手なんで。
守備は頼もしいです。
驚きです。びっくりしました。
今西くんです。
一、二塁だったので、絶対に先制点は取られたくないなと思って投げました。ショートが取ってくれて良かったです。
外角だったと思うんですけど・・・あまり覚えていないです。
すごくみんなレベルが高くて、みんな良くしてくれて、本当に楽しかったです。
ありがとうございます。
とても嬉しいです。
日本一になった〜って感じでした。
出ていないメンバーも含めて、みんなでプレーできたことが良かったです。
あれは余裕です。
守備の堅いチームで、バッティングが弱いって言われていたんですけど、大会になってバッティングでもみんな爆発し始めました。
トレーニングとかはキツかったですけど、日本一になったんでやりがいがあったと思います。
宝です。宝物です。
絆は繋がっているので。日本一になったので。みんなのことは絶対に忘れないです。
みんなが僕を日本一のキャプテンにしてくれたので嬉しいです。
応援歌も(髙城)翼冴の応援歌を流してもらったりしました。みんなで勝ちに行こうって話をして、本当に優勝できて良かったです。
ありがとうって言われました。
ありがとうございます。
めっちゃ嬉しいですね。
絶対に抑えてやろうって思っていました。気合い入っていました。
ちょっと、なんだか短かったですね。
自分がふざけているキャラクターだったので。
良かったは良かったですね。甘く入って打たれたところをもうちょっと直せばよかったなと思いますけど、良かったです。
いい経験になったと思います。
若干分からなかったんです。優勝したっていう感覚が分かりませんでした。
いや、正直あんまりしていなかったです。
最後のイニング、守備に入る直前に言われました。
もう最終回かと思って、今までやってきた努力とかを全部出し切るだけだな、と思いました。
自分が最後抑えてチームが勝ったので、とても嬉しく思いました。
緊張せずに自分のピッチングができたので良かったです。
1球1球を大事に焦らずに丁寧に投げて、自分のタイミングで投げられればいいピッチングができると思います。
最初、ホークスジュニアに入ったときにコントロールが結構バラバラだったので、髙橋純平コーチがここはこうしたり、ここをもうちょっと変えたりしたらいいんじゃないかって言われて、コントロールが良くなりました。
足が先に開くので、もうちょっと我慢して投げてみてって言われたら、コースに行くようになりました。
はい、なかったです。
ここを抑えれば勝つから、自信持って投げることができました。
長くて、でもアッという間の時間でした。
いろいろなコーチ、監督からバッティングを教わったり、走塁を教わったり、ピッチングを教わったりして、自分が足りてないところを家で練習して、土日の練習試合とかで出し切るようにしてきました。大会でも自分の力が出せたらいいなと思って、ピッチングをやってきました。
まさにチーム一丸で掴んだ頂点だった。2009年以来、15年ぶり2度目の日本一となったホークスジュニア。「みんなが僕を日本一のキャプテンにしてくれたので嬉しいです」。多士済々のメンバーの中心にいたのが、キャプテンの山﨑海和選手だった。
2回無死一、二塁で処理した遊ゴロを難なく併殺に。3回無死一塁で相手が盗塁を仕掛けてくると、高くなった送球を華麗な身のこなしで掴んでタッチしてアウトにした。その裏、自らのバットで先制点を叩き出す中前適時打。一挙5点のビッグイニングの足がかりを作った。
「MVPとかは取れなかったですけど、常にそれに値するぐらいの活躍をしてくれた」と帆足和幸監督が絶大な信頼を寄せたキャプテン。父の和政さんはこう明かす。「まだ選考期間中にも道具を一番に片付けていたり、グラウンドを一番に整備していて、監督はそういうところで選んだと言ってくれていました」。常にチームの先頭に立って行動で示す姿に、チームはまとまっていった。
“15人”のサムライたちには合言葉があった。
「翼冴のために絶対に優勝するぞ」
初戦、2戦目と二塁手でスタメン出場した髙城翼冴選手が、27日に行われた東京ヤクルトスワローズジュニア戦のタイブレークで打球を負った際に右翼手と交錯。そのまま最後まで試合には出場したものの、その後、病院で脳震盪と診断された。医師からは1週間の安静が告げられ、翌日の準決勝どころか決勝の出場もできなくなった。
準決勝が行われた28日の朝、髙城選手はチームメートたちの前に立った。残り試合に出られなくなったこと、4か月間苦楽を共にしてきた仲間たちへの激励の思いを言葉に込めた。「翼冴の分までみんなで勝つぞっていう気持ちでずっとやっていました」。山﨑も奮い立った1人。仲間として、キャプテンとして、髙城選手の首に金メダルをかけてあげたかった。
安静が必要なため、髙城選手は試合中はベンチに入れなかった。試合前まではベンチで練習を見守り、試合中はスタンドで仲間の活躍を祈った。準決勝、決勝とベンチには髙城選手の背番号「0」のユニホームが飾られていた。山﨑選手はこの決勝、応援団にお願いして打席に立つ際に、髙城選手の応援歌を流してもらった。
試合終了間際、髙城選手はスタンドからベンチへと降りると、歓喜の輪に歩いて加わり、チームメートとともに固く抱擁を交わした。「みんなで勝ちにいこうって話をして、本当に優勝できて良かったです」。こう語る山﨑選手は髙城選手に試合後にこう声をかけられた。「ありがとう」。
21人の候補メンバーから絞り込まれて選ばれた16人の精鋭たち。長いようで短かった4か月で培った絆は強い。「この仲間は宝です。宝物です。(ホークスジュニアが終わっても)絆は繋がっているので。みんなのことは絶対に忘れません」と山﨑選手は言う。最高の結末を迎えたホークスジュニア。16人の表情は冬晴れの空のように、晴れやかだった。