秋山幸二監督は22日、ルーキー時代の恩師の急逝に肩を落とした。西武入団時の2軍監督が和田博実氏で、米国留学した際には現地の担当コーチとして支えられた。この日はオフだった秋山監督は「アメリカへの野球留学もそうですし、入団した時から野球の基礎をつくってくれた方。公私にわたりお世話になりました。和田さんのおかげで今の私があるようなものです。非常に悲しいし、ただただ残念です。ご冥福をお祈りします」と球団広報を通してコメントした。
82年(昭57)から2年間は断続的にサンノゼ・ビーズ(1A)の一員としてカリフォルニアリーグやアリゾナ教育リーグに参加。一緒にプレーした選手が翌日に姿を消す厳しいプロの世界を肌で感じた。「3カ月の間に90何試合とかやるんだ」。強行日程に音を上げそうな時も同行した和田氏に勇気づけられた。この海外修行がスターダムを駆け上がる原点だった。秋山監督が現役引退し、05年から2年間、2軍監督を務めた時も雁の巣球場(福岡市東区)で何度も激励を受けるなど、思い出は尽きない。
今季は新人監督として和田氏が亡くなる6日前の16日に交流戦Vを決めた。「昨年、西武ドームで西鉄ライオンズ復刻ユニホームのイベント時にお会いしたのが最後かと思います」。秋山監督は在りし日の姿を思い起こし、6年ぶり日本一奪回への決意を強くしたに違いない。
関連リンク >
(提供:西部日刊スポーツ新聞社)
一覧へ戻る