2019/05/29 (水)
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今年復活の南海、あの頃どんなチーム?

5月28日(火)から30日(木)にかけて、ホークスの故郷である大阪で行われている「KANSAI CLASSIC 2019」。

今年復活した「南海グリーン」は1970年から1971年にかけて着用されたビジターユニフォームです。また、対戦相手のバファローズも同時期の阪急ブレーブスで使用されたホームユニフォームを復刻しています。昭和のパ・リーグを熱くした「南海対阪急」の激戦の復活でもありました。

さて、この時期のホークスはどんなチームだったのでしょうか。

前年は戦後初の最下位。長年続いた「鶴岡体制」からの転換期を迎えていたチームは、1970年シーズンに向けて大胆な策に打って出ました。「4番捕手」というホークスの核を担っていた野村克也選手を兼任監督に据えたのです。野村兼任監督は前年引退していたドン・ブレイザー氏をヘッドコーチに据え、シンキングベースボールを浸透させました。1点を確実に取り、無駄な失点を1点でも減らす。のちの野球界では当たり前になった野球のスタイルをいち早く確立しました。1970年のホークスは69勝57敗4分で2位に躍進。野村兼任監督は主砲としても変わらずに活躍し、42本塁打・114打点をマーク。また、シーズン中に通算2000本安打も達成しました。投手では新人だった佐藤道郎投手が18勝を挙げ、防御率2.05でリーグ1位に。新人王にも輝きました。

翌年の1971年は故障者が出るなど苦しい戦いとなり、61勝65敗4分で4位に終わりました。ただ、プロ2年目だった門田博光選手が大ブレイク。129試合出場、打率.300、31本塁打、120打点を残して打点王のタイトルを獲得しました。のちに主砲として大活躍し、球界歴代3位の通算567本塁打を放ちました。

また、当時の主力選手としては、日本人初のメジャーリーガーとして活躍し南海に復帰していた村上雅則投手(1971年・38試合14勝15敗、防御率4.10)や、「法政三羽ガラス」として田淵幸一氏、山本浩二氏と共にアマ球界で注目を浴びた富田勝氏(1970年・130試合、打率.287、23本塁打、81打点)強打の外国人野手ジョーンズ選手(1970年・33本塁打、1971年・35本塁打)らが活躍していました。

ところで、南海ホークスの復刻ユニフォームに袖を通した工藤公康監督は、グラウンドに出てくると報道陣に「似合いますか?」と逆質問。南海ホークスの思い出を問われると「大阪球場ですかね。(登板翌日の)あがりの時は、肉うどんを買って食べていました。お客さんも食べるものですよ。あの頃はそういうのがあって、西宮球場にいったらお好み焼きとか川崎球場ならコレとかありましたね」と懐かしそうに笑みを浮かべていました。

2019年5月29日掲載
田尻 耕太郎(スポーツライター)

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