2021/03/11 (木)
球団 CSR

「東日本大震災から10年」にあたって

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工藤公康監督インタビュー

監督就任前から現在まで、野球教室や球場・グラウンド整備など、復興支援活動を続ける工藤公康監督に「支援への思い」をお話しいただきました。

2011.3.11

当時、僕は所属するチームがなくて、「アメリカでトライアウトでもいいので現役を続けたい」と思っていたんです。あの日も、横浜の自宅でトレーニングしている最中でしたが、地震があってびっくりしました。
電信柱が本当に折れるんじゃないかっていうぐらい揺れていて。
最初は、関東で地震があったんだと思いましたけど、報道で被害が多いのは東日本だと聞いて、東北の地震でここまで揺れるんだ、と正直ビックリしていました。
報道で被害状況を知ったときは、 例えば、津波っていうことに関しても、本当にこんな津波が日本に来るのか、と驚きました。その後、実際に現地に行った時に、もっとすごい状況を知ることになるんですけど・・・。

テレビで、もうほんと信じられないような光景が映し出されていて、ただひたすら、あそこにいらっしゃる皆さんの一人でも多くの人が助かってくれていればと祈るように見ていました。

支援活動のきっかけ

被害に遭われた方々に対して、何かできることはないかと悩んでいたんです。
ちょうどその頃は日刊スポーツにも評論家として所属していて、野球教室をやっていたりしましたので、「何かないか」と相談したところ、ゴーゴーカレーさんもそういう支援をしたいという意向があり、どのように実行するかと悩んでいらっしゃったので、日刊スポーツさんが間に入ってくれて、「それだったら一緒にできることを考えませんか」とお声がけさせていただきました。
私もゴーゴーカレーさんも、行くとなればなるべく早く行きたい、少しでもできることをしたいという思いでいたのですが、現地の状況なども確認して、震災から3ヶ月後に石巻に行けることになりました。

2011年6月の石巻

現実を見た時にもう本当に体が震えるほどでした。
テレビや新聞で見ていることよりも、実際に被害にあった方々のお話を聞いたり、現場を見せていただいたりすると、「ここまですごかったのか」と本当に驚きました。
僕らは少しでも子どもたちに笑顔を取り戻してほしい、という思いで野球教室をやりにいったのですが、体育館で避難されている方々は、精神的に大変疲労されていました。
被災から、3ヶ月経ったとしてもまだ体育館から出ることすらできない状況。
疲れて、ストレスが溜まって、精神的に追い込まれているんだな、っていうのが伝わってきます。
本当に日々を過ごしていくのが精一杯で、野球教室どころではないのだなと。

全員勝負!の野球教室

それでも、子どもたちを励ましたい、と思って野球教室を開始したのですが、参加している子どもたちも、あまり笑うこともなく、喋ることもなく、という状況でした。
いつもの野球教室であれば、ウォーミングアップをしてキャッチボールをして、ピッチングやバッティングをちょっと教えたりという内容なんですけど、「これではダメだな」と思いました。
こんないつもどおりの野球教室では、子どもたちやお父さんお母さんに笑顔になってもらうなんてできないと。
そこで、急遽100人以上いた子どもたちを2つに分けて、50数人が全員守備について、残りの50数人が順番に打って何点取れるか?という競争にしたんです。
そして、全員に僕が投げたんです。
50人以上の子達が守ってても、エラーしたり、お見合いをしたりでランナーもでるし、点も入るんですよね。そうするとだんだん子ども達がね、「回れ!回れ!!」とか、「ストップ!」とか「走れ!」とか「行くな!」とか、そういう声が出るようになって、つられて大人の人からも声が出るようになってね。
そのうち、子どもたちから笑いが出るようになって、他の大人も、その子ども達が楽しくやってる姿を見て、笑顔になってくれるのを見て、その時に初めてなんか「来て良かったな」「こういうことやってよかったな」って風に思えました。
100人以上ですかね、子ども達に一人ずつ投げてあげて、打たせてあげるということで、みんなが少しでも笑顔になってくれて良かったな、と。

このように1回目の野球教室は、随分自分の思っていたものとは随分違ったものになりましたが、僕も本当に楽しかったし、嬉しかった1日でした。

一方で、野球教室の後にゴーゴーカレーさんのカツカレーをお配りしたんですが、この現状をちゃんと1日も早く日常に戻すには、ほんとすごい時間がかかるんだろうなと思いましたし、この方たちみんなが笑顔になるには、本当に復興が何より大切だ、とも思いました。

知ってもらうこと、忘れないことの大切さ

心からの復興っていうのは、本当に日本中が総力をあげてやらないと、最終的には元に戻らないのだろうと思っています。
そのためには、僕の野球教室でもなんでも、そういう活動をしてるって事を通じて、世の中の人に現状を知ってもらって、みんなが行動する事が大事なんだなと思います。
最初に野球教室に行った時に「これはずっと続けていかなきゃいけない事だ」と思いました。
それは2年経とうが、5年経とうが、10年経とうが、「忘れない」ことがやっぱり何より大事です。被災された人の傷って、10年経てば治るかと言うと絶対そういうことはないわけで、それを少しでも僕らのすることで、その日だけでも笑顔になってもらいたい。
今日は楽しい一日だったね、という風に思ってもらうことが未だにより大事かなという風に思っています。

10年が経とうとしています

10年前と比べて野球教室で出会う子ども達は元気になっていってます。
あの時、生まれたお子さんが、今もう10歳。
10年前、一緒に小学校で勝負をした子ども達も、もうすぐ大人になります。
今年、10年前に触れ合った子が宮城県代表として甲子園に出場すると聞きました。
本当に嬉しいし、あれから10年経ったんだなぁ、とは思います。
でも10年たった今も、最初に見たあの光景が脳裏から離れません。
多くの人に支援を頂いて、一緒にグラウンドを作ったりとかしましたが、僕らにはそういう事の積み重ねしかできないんです。
これからも自分の心に決めたことを行動にうつしていこうと思っています。

投手・工藤公康として

10年前、震災の前までは、自分の世界は野球界の中だけで「もっと現役を続けたい」と思って治療やトレーニングをしていました。
でも、被災地に行って子どもたちに投げてる時はすごく楽しかったですね。
小・中学生にちょうどいい速さのボールを投げれなくて、ゆっくり投げたら、「球が遅いです」って言われちゃった(笑)
しょうがないので、ビュッ!って投げたら今度は「速すぎです!」って。
速いボールに文句を言いつつも「やっぱプロのボールは速いな!」って、子どもたちが、驚いて、喜んでくれて、笑ってくれて、本当に嬉しかったですね。
正直、それはその時点での僕の全力投球に近いボールで、何十人相手に投げるのは、リハビリ中の身としてはちょっと無理があったんですけど。
子どもたちの喜んでいるその姿を見ると、肩が痛いのも忘れちゃうんですよね。

野球教室が終わった後で、たくさん氷を買い込んで、痛む肩をアイシングしながら帰途につくことがだんだん増えてゆきました。
どんなに冷やしても、全然痛みは収まってくれなかったけど、凄く充実していていました。子どもたちの未来に、少しでも対決したことが繋がってくれればいいな、と。
そして、こんな形で肩を壊して引退できるなんて、僕は野球選手としては本当に幸せだなと思いますし、そうさせてもらえた周りの人には本当に感謝しています。
僕にとっては、この野球教室が「最後の真剣勝負」になりました。
最後に子どもたちと「真剣勝負」ができたことがなにより嬉しかったですね。

コロナ禍とコミュニケーション

僕は現地に行って、お話を聞いてという、コミュニケーションが何よりも大事だとは思ってきましたけど、コロナの影響で、去年は行きたくても現地に行けないということがありました。
逆に迷惑をかけてしまうかもしれないし、と我慢していました。
早くまた、行けるようになればいいと思いますし、今はリモートでも交流する事ができますので、やっていこうと思っています。

そうやって「繋がる」っていうことが僕は大事だと思うし、みんなの想いをしっかりと紡いでいくことが、10年前に起こったあの地震を忘れない、ということにも繋がると思います。これだけは、自分の体が動く限り続けていきたいなと思います。

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