2021/10/27 (水)
球団

工藤監督が退任会見「幸せな7年間。支えてくれた皆さんに感謝」

10月27日(水)、工藤公康監督が退任会見を、PayPayドームのプレスカンファレンスルームにて行いました。

工藤監督は2015年に就任。7年間チームを率いて、日本一5度、リーグ優勝3度にホークスを導き、7年間の公式戦通算で978試合558勝378敗42分、勝率.596という輝かしい実績と成績を残してきました。その年のプロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞も在任中に4度受賞。現役時代の1回を合わせて5度の受賞はプロ野球歴代最多となっています。

以下、会見の要旨です。

【冒頭の挨拶】

「7年間務めさせていただいた監督を、今日で退任することになりました。幸せな7年間を過ごすことができて、野球人として、たくさんの方々に支えていただいたことを、ここに感謝申し上げたいと思います。

(就任当初)僕自身は、まさか監督をするとは思っていませんでした。現役をやめてから3年間は解説者をしながら、子どもたちの運動障害予防を勉強するために大学に行きました。子どもたちのために何ができるか一生懸命考えました。また、東日本大震災が起こり、その中で自分に何ができるかを考え、多くの方にどうすればエネルギーを届けられるか考えました。その中で自分自身が知らないこともたくさんあったし、実際に現場で見ないと分からないこともたくさんありました。

そんな中、2014年に王会長から声をかけていたただきました。まだ道半ばの自分でしたが、思い出されたのが1995年からの5年間をダイエーホークスでお世話になったことでした。1999年に日本一になり、僕自身はやむなく退団することになりましたが、ファンの皆さん、王会長に感じた恩を返すときがきたのかという思いがありました。また、監督になって強いホークスを子どもたちに見せることで、夢を与えることができるのではとの思いもあり、監督業を引き受けさせていただきました。

幸いなことに7年間で5度日本一になることができました。孫オーナー、王会長をはじめ球団の皆さんに支えていただき、選手、コーチ、スタッフにも支えられました。また、僕ら選手コーチ、スタッフを支えてくれたのが球団の皆さんです。当然、孫オーナーをはじめ、後藤球団社長,三笠GM、それだけでなく、多くの方々のサポートがなければ戦うこともできなかった。球団の皆さんには感謝しかないです。

そして、球場で僕らを支えてくれるのは、僕らより早く来て、帰る時も「ご苦労様」と言ってくれていた警備の皆さん。グラウンドキーパーの皆さんも僕らより早く来て整備をして、ネットを準備してくれたりしました。僕が帰る時に、ずっと残ってブルペンで仕事している姿も見ました。食堂で美味しい食事を作ってくれる方々もそう。そのような方々がいなければ成り立たない。選手の頃には気づくことが少なかったけど、監督になっていろいろ見てみると、そういう方たちがいてのホークスだなと改めて感じました。多くの方々に支えられたことを改めて感謝したいです。ありがとうございました。

たくさんの思い出もあります。つらい時もありました。でも、僕にとってこの7年間は、夢のような素晴らしい日々でした。これも本当に、選手たちが頑張ってくれたのはもちろん、彼らが僕自身を変えてくれたと思っています。2015年に優勝した時、正直調子に乗っていたところもあったと思います。その中で選手たちが、僕に無言ではありましたけど、いろいろ教えてくれた。そのことが僕を変えてくれたきっかけになりました。

その中で2017年に優勝できて、監督という仕事はえらいんじゃなくて、みんなと共にあるとの考えを、僕の中にしっかりと芽生えさせてくれた。2016年は勝つことができなかったけど、僕に反省とこれからに向けての課題を与えてくれたことで僕自身変わった。その後日本シリーズを4連覇できたのも選手たちの頑張りです。コーチやスタッフがしっかりサポートをしてくれたおかげでもあります。

今年、僕自身も覚悟を持ってきました。結果が悪ければ責任を負うのは監督。今年の成績は正直、僕自身の力のなさだと思っています。今年の成績が僕の実力と思い、ここで改めて足りないところ、力のなさを実感し、責任を取るのがなによりも大事と思い、今日、ここに至りました。

これからは、まだまだ自分に足りないところを勉強し、より素晴らしい人間になれるよう、過ごしていきたい。これまでたくさん支えてもらい、成長させてもらいました。これからは誰かのため、人のために役に立てるような、そんなに人間になりたい。

7年間、こんな私を支えていただき感謝申し上げます。本当にありがとうございました」

【質疑応答】

――今の率直なお気持ちは?
「何か、今は少し抜け殻のようになっている感じがあります」

――決断の理由は?
「敗戦の責は将が負うものだと、僕自身思いました。もっともっと、やれることあった。行動すべきことがあったと思う中で、やりきれなかった。その思いが日々増してきたのは事実です。その責任は最後に自分が取るべきだと。会長にも(続投を)言っていただいたんですけど、『申し訳ありません。責任は私にあるので、責任を取る形にしたいです』という話はさせていただきました」

――決断はいつ頃?
「最終的には決めたのは10月のはじめです」

――今季の戦いを振り返って
「この2年はコロナのこともあって、選手もコンディショニングを作るのが難しかった。去年は日程がズレ込んで、選手は難しかったと思う。その中で万全な状態で、開幕を迎えさせてあげることができなかった。怪我人も多かった。でも、その中でやりくりするのが監督の務め。投手も野手もバックアップを作れなかった。何より僕の責任が大きいと思っています」

――千葉でのラストゲーム。何かファミリーのような温かい雰囲気でした
「あの瞬間は、最高に幸せでした。まさかオーナーがいらっしゃるとは思わなかった。心遣いに感謝しかない。雨の中で、選手たちが『写真を撮りましょう』と。最高の宝物です。(球団スタッフを見て)あとで写真ください(笑)」

――強いホークスを維持するために意識したことは?
「僕の中では現役を長くさせていただいたのもあり、その中で、志半ばで辞めていく選手もたくさん見てきました。だから選手たちには1年でも長く頑張ってほしい、続けてほしいと思っていました。苦しい時、上手くいかない時やシーズンもあります。打たれることも、打てないこともある。でも、そこに負けない心と体を作ってあげられれば、必ず勝つことができるんです。王会長も言われるように『あの練習に耐えて良かった』『あれがあったから第一線でまだやれる』と思ってもらえるように、選手たちにはつらい練習を課しました。自分なりに説明もしたけど、やらないと分からないこともある。彼らの支えになると思ってやってきました」

――千賀(滉大)投手や甲斐(拓也)選手ら育成出身が大きく羽ばたき、若い選手たちも成長していきました。その姿に、何を思いました?
「彼らが頑張っている姿を見るだけで、なんだか幸せになれました。苦しい時、つらい時もあったと思う。千賀くんは6年連続2桁勝利を達成。過程は大変だったと思うが、プロ野球選手として素晴らしい実績を残せたと思います。それがまた次の力につながると思う。ずっと続けられるように、そして長く現役生活をできるようにしてほしいです。
甲斐くんも143試合すべてに出て、やっている途中はつらいことも悩んだこともあったと思う。でも、やり終えた後は自分自身の成長も実感できたと思う。今後もこれを続けたいと思った時に、来年の課題も前向きにとらえることができる。それをつないで組み立てていき、最後に良い現役生活だったと思えるんです。僕は何より大事だと思います。彼らが悔いを残さず、素晴らしい野球人生をおくってくれれば、僕はそれだけで幸せです」

――シーズンポストシーズンを合わせれば1000試合以上を戦ってこられました。印象深い試合や出来事は?
「聞かれると思って、ここ何日か考えたこともありましたけど……。そうですね、僕はピッチャー出身。不思議と打たれたことは覚えているけど、抑えたことは覚えていないんです。ですので、2016年の勝てなかった悔しさの中から、何が足りなかったのかを考えて、オフを過ごしたのが自分の中で(印象深い)。反省もしました。また、来季は自分自身の信念みたいなものをしっかり持ってやらないと、挽回することはできないという思いを持ってやっていました。あの時のオフは短いようで長く感じた。まずは自分が変わっていかない限り、選手にすべてを求めるのは間違っている。そう思えた年でした。自分自身が成長できた年だし、その中で2017年に選手と一緒に勝てたのは印象に残っています」

――変えたこととは?
「変えたことはヒミツです(笑)」

――王会長の存在とは?
「僕の現役時代に、選手の前でも常に『監督室を開けているからいつでも相談に来さない』と言われていた。相談に行ったことも、呼ばれたこともありました。その言葉通りの行動をしてくれる。監督といえども、独断でそんな簡単にすべてを変えることはできない。それでも相談に行ったらすぐに応えてくれていました。気持ちの沈んでいた選手が、笑みを浮かべて、やる気を出して監督室を後にしていました。監督としての器の大きさ、人としての器の大きさを感じていました。僕もそうなりたいと思ってやったけど、7年間やって難しいなと実感しています。もっともっと近づけるように、勉強していきたいです」

――支えになったものは?
「僕にとっては選手がすべて。一番は選手に支えられていると思います。先ほども申し上げたように球団の方、警備やグラウンドキーパー、食堂などで働く皆さんも、すべての方が僕の支えであり、僕の活力でした。頑張ってくれているその人たちのために、自分は精一杯頑張らないといけないと思っていました。また、この2年で特に感じるのは、ファンの声援がいかに選手の力になっていたか。無観客の時、元気がないんです。見てもらう中で、野球をやる。それをプロ野球選手が一番大切にしないといけない部分だと改めて感じました。最後に言おうと思っていましたが、ファンの皆さんには心から感謝を申し上げないといけない」

――今後について?
「終わったばかりで何も進んでいないのが正直なところ。ただ九州の皆さんに何らかの形で皆さんの力になれたらいいとの思いは持っています」

――工藤監督にとって、福岡はどんな場所?
「プロ入りは西武ライオンズだし、もともと出身は愛知県だけど、福岡が僕にとっての故郷と言っていいと思っています。ダイエーに来てから野球をもう一度考えるところになったし、1999年の優勝はやっぱりファンの皆さんの熱さや勝った時の声援が、何事にも代え難い感動と、自分に達成感を感じさせてくれた。監督になってからも少しでもファンの皆さんに恩を返せるようにやってきたつもり。九州は住みやすいし、どこに行くにも近い、食べ物は美味しいし、人が温かい。ダイエーで現役5年、ソフトバンク監督7年の12年間は自分自身を大きくしてくれた。いつまでも大切にしていきたいです」

――プライベートでやってみたいこととか?
「僕はアウトドアが好き。九州を転々としながらキャンプをして、いろんなところに行って、いろんな景色を見たい。まだまったく予定は立っておりませんけど(笑)」

――今後のホークスに期待すること。
「選手には、一年でも長く野球をやってほしい。また、ホークスは常に勝たないといけないチームです。勝つためにやっぱり努力し続けないといけない。プレッシャーもあるでしょうし、耐えなくてはいけない時もある。苦しい中で試合をやり続けないといけない時もある。でも、その先に勝った時、その喜びはすべてを帳消しにしてくれるんです。選手が頑張ることで、どれだけの人に勇気と希望を与えられるか。プロ野球選手はやりがいのある仕事です。自分のためには力を出せない人は、支えてくれる人たちのために笑顔を届けたいと考えて見れば、違う力を発揮できると思う。一人一人が信念を持ち、たくさんの人の思いを背負って、戦い続けてほしいです」

――最後にファンの皆さんへ
「皆様、7年間私のことを支えていただき、声援をいただき、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。僕自身は力があると思っていません。選手に、そして周りに支えられました。そして一番の心の支えはファンの皆さんでした。試合に勝って報告する時、ワクワクして皆さんの前に出られるのが何より嬉しく、それをいつも思って監督をしていました。ただ今年、こういう結果になったのも私自身の力が足りなかった結果です。また来年以降、ホークスは強いチームを必ず作ってくれると思います。だけど、7年間で少しでも皆さんの思いを叶えられたのなら、僕自身は幸せでした。コロナでファンの皆さんと一緒に戦えなかった時期は僕らも苦しかったけど、ファンの皆さんの方が球場に来られずにつらかったと思います。テレビやラジオの前で声援を送ってくれたと思います。その期待に応えられなかったのは申し訳ありませんでした。でも、これからもホークスを支えていただき、熱い思いを届けていただきたいと思います。これからもホークスのことを宜しくお願いします。そして私のことを7年間支えていただき、ありがとうございました」

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