2013/08/12 (月)
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門田氏が、今、明かした『史上3位567本塁打』のルーツ

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8月30日(金)~9月1日(日)の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ヤフオクドーム)3試合は、パ・リーグ6球団共同企画「レジェンド・シリーズ2013」となっており、福岡ソフトバンクホークスは、南海ホークス最終年の復刻ユニフォームで試合を行います。
8月31日(土)にヤフオクドームに来場することが決まっている、かつてのスラッガー門田博光氏。身長170cmという長距離砲としては小柄な体格、そしてアキレス腱断裂の大怪我もありながら、不撓不屈の精神で克服し、プロ野球歴代3位の567本塁打(本塁打王3回)という偉大な数字を残しました。
しかし、門田氏は言います。

「567本…。みんなからは明るい顔でそう言って頂けます。だけど、567本のホームランを打つために、自分の人間性どれだけ変わったか…。馬鹿にされて、自分を見失い、楽しい人生も犠牲にしてきた。(身長)1メートル70しかない人間がそこまでやろうと思ったら、とんでもなく頑固にならんとおっつかない(到達しない)ってことですよ」

それでも、ホームランを追い続けた理由とは――「他では喋ったことないなぁ」と言いながら、ホークスオフィシャルメディアのカメラの前で「567本塁打のルーツ」を語ってくれました。

「まだ入団して間もない頃の、3月の巨人とのオープン戦の時やった。練習が終わって風呂に入っていたらマネジャーから声がかかったんです。『ノムさん(野村克也選手兼任監督)が呼んどるぞ』。急いでユニフォームに着替えて行ってみると、王さんも一緒にやった。
ノムさんが王さんに言うんです。『ワンちゃん、コイツに言うたってや。ホームランを打つにはぶんぶん振り回さなアカンと思ってる。軽く当てたらエエというのを教えてあげてや』。でもね、話し合いにはならんかった。僕がつい言うてしまったんです。『また、2人で口裏合わせて言うとるんやないですか?』って。
そうしたら、2人は寂しい背中をして部屋から出て行ってしまった。王さんは『ノムさん、えらいルーキーが入ってきましたな』とノムさんに言うてるし、ノムさんは『もうオマエには野球教えたらん』と怒らせてしまったし…。俺はまだ22歳の新人でホームランも0本。相手は日本の1位と2位ですよ。そんな人たちを相手に、俺はなんてことを言ってしまったんや…。
その時に決めたんや。絶対に辞めるまでに、この2人の間に入るか、3番目に名を連ねるまでホームランを打つ、と。あの2人の背中を『寂しい背中』と思わなかったら、たぶん200か300本塁打の選手で終わっとったでしょうな。それが23年間の源や。分からへんでしょう、こういう理論。いかに、心が痛んだか」

その後、1979年にアキレス腱断裂の大怪我を負います。その時でさえ、門田氏の脳裏によぎったのは「もう野球が出来へんかも、という恐怖やプレッシャーより、これで王さんとノムさんの背中を追いかけられなくなるという思いの方が強くて、とにかく悲しかった」。
3度のホームラン王は、すべてその大怪我を乗り越えた後に輝きました。1988年には40歳にして44本塁打、125打点をマークして二冠王を獲得。1992年、最後は福岡ダイエーホークスの選手として現役を引退しました。

「それぞれの時代というものがあるが、その時代のとてつもない数字に自分からトライをしていかないと、歴史というのはできないと思う。歴史は作られては塗り替えられての繰り返し。僕はホームランのことしか言えない。例えば、王さんの記録(868本塁打)はとてつもない数字だけど、20数年先を見越して、私のような辛い人生歩んでトライすれば、700本塁打なんて簡単に打つ奴が出てくるでしょう。その時代を賑わす選手が出てきてほしいというのが僕の夢。だって底辺だった俺が出来たんやから。今、みんな体格が恵まれているし、能力のある選手もいるやない。夢を持ってやってくれたらいい。こんなことしか言えません」

現在のホークスナイン、そして未来にホークスのユニフォームを着て戦う選手たちへのメッセージとしてそのように語った門田氏。8月31日(土)、本当に久しぶりに、ホークスのホーム球場のグラウンドに立ちます。

2013年8月12日掲載
田尻 耕太郎(ホークスオフィシャルメディア)

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