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秋季キャンプでB組に参加しているベテランの村松選手は、若手に交じり汗を流す |
96年の盗塁王がダッシュを繰り返した。精悍(せいかん)なマスクを荒れた息で崩し、芝生の上に倒れ込んだ。「もう後がないので来年はグラウンドで勝負できるようにしたい」。口調は淡々でも村松の言葉はある種の覚悟を帯びていた。
オリックスから今季6年ぶりに古巣復帰したが、太ももとふくらはぎを3度故障し、出番はわずか29試合、盗塁は17年ぶりのゼロだ。「歳をとってけがから(状態が)戻らない。どこかで足を気にしてしまう」。1軍早期復帰の思いはあっても年齢的な回復の遅れはどうしようもなく、歯がゆい思いをした。
かつての走り屋が今秋掲げるテーマは無事故の体づくり。秋山幸二監督も「けがをしない体をつくれ」と指令を出し、宮崎キャンプは若手に交じってB組(2軍)調整。走って、走って、さらにウエートトレで鍛える。「打撃は技術でカバーできる」と言い放ち、打撃練習はティーのみ。それだけ負傷離脱が悔しかった。
肉体強化の延長線上には初の小久保道場入りがある。来年1月、米アリゾナでの合同自主トレへの参加を直訴した。「何か変わりたいから」。7年間、自主トレの拠点にしていた鳥取を卒業し、新人だった91年にマイナーリーグ1Aのサリナス・スパーズに留学して以来、19年ぶりに米国本土へ足を向ける。残り少ない野球人生に懸ける村松有人選手の思いがにじむ。1年前の秋は残り30個に迫る通算300盗塁を目標にぶち上げたが、この日は「数字より、試合に出たい」と野球人として率直な思いが口をついた。
そんな村松選手の背中を押す刺激があった。キャンプ合流中の王会長からB組の練習前に訓示があった。「明日のヒーローになれ。今は残念ながら違うがチャンスはある。来年を一番いい年にしよう。柴原も村松もそう。しんどうだろうが、頑張れ」。さらに海の向こうからは星稜の後輩、松井選手のワールドシリーズ(WS)優勝とMVP獲得のニュースが飛び込んできた。「野球に対する姿勢が素晴らしいから、こういう舞台で結果が出せる」。村松選手はまるで自分にも言い聞かせるようだった。