2015/10/18 (日)
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帆足投手が引退表明。らしく、最後まで笑顔

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帆足選手引退会見

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10月18日(日)、帆足和幸投手がヤフオクドーム内のプレスカンファレンスルームで会見を行い、今季限りでの現役引退を表明しました。

帆足投手は福岡県小郡市出身の36歳。三井高校から九州三菱自動車を経て、2000年ドラフト3位で西武ライオンズに入団しました。入団4年目に初の2桁勝利(10勝)を挙げると、翌2005年には自己最多の13勝をマークして先発ローテーションに定着。そしてプロ11年目を終えた2011年オフ、「僕は福岡で生まれ、福岡で育ち、僕の中に流れる福岡の血が"帰りたい"という思いになった」と決意し、フリーエージェント権を行使してホークスへやってきました。

ホークスでは左肩の故障もありましたが、2013年には8勝、2014年には6勝1敗と活躍。今季は3試合に先発して6月28日のイーグルス戦で白星を挙げましたが、その1勝のみ。それでもファームでは防御率リーグ4位の2.32(17試合6勝3敗)をマークするなど準備を怠ることは絶対にしませんでした。

独特の投球フォームから繰り出す切れ味鋭い球質。打者の手前ですっと沈むパームボールを武器にした左腕は、プロ15年間で267試合90勝65敗1セーブ1ホールド、防御率3.90の通算成績でした。

【冒頭、帆足投手より】

「15年間のプロ野球生活にピリオドを打つことにしました。埼玉西武ライオンズで11年間1人の男として、社会人として立派に育てて頂き感謝しています。そして4年間、地元で野球をさせていただいた福岡ソフトバンクホークスにも感謝の気持ちです。15年間、たくさんの人に支えられて全うすることができました。

FAで福岡に来たとき、僕は福岡で終わらせると思っていました。球団からも『ここで骨をうずめてくれ』との言葉に胸を打たれて移籍を決断しました。それはブレることがなかったので、ホークスで引退することを決断しました。

日本一をたくさん経験させてもらいました。僕みたいな大した選手じゃないですが、強いライオンズとホークス、この2チームで野球ができたことは本当に誇りに思います。その中で、やはり『47』を背負えたことは本当に自慢にもなりますし、心に残っています。15年間でしたが、楽しい…楽しいことはあまりなく、苦しいことばっかりだったと思うんですけど、本当に満足して終わることができます。15年間ありがとうございました」

【以下一問一答】

――今季は1軍でも1勝。2軍でもコンスタントに成績を残していた

「そうですね、しんみりした話は嫌いなので、楽しくいきたいんですけども…。本当に、福岡で終わろうと思っていましたし、まあ僕がここにいても、今年も3試合しか投げられませんでしたし。若い選手、千賀、東浜、岩嵜、松本も下(ファーム)でいいボールを放っていますし、やっぱり僕はそろそろ潮時かなと。次の世代に交代かなと、思いました」

――通算90勝。区切り(100勝)まで頑張ろうという気持ちは?

「それより、福岡で終わろうと。本当に福岡が好きですし、ソフトバンクホークスが好きだったので、そちらの思いの方が強かったです」

――同じ47番を背負っていた工藤監督にはどう報告をされたのか?

「電話でちょっとお話をさせていただいて、『これからの人生の方が長いから、しっかりそっちでも頑張ってほしい。47を背負ってたから、お前のことは気にしてたよ』と言ってもらえた。今年、日本一にはあまり貢献できなかったですけど。本当に尊敬する人であり、雲の上の存在の人でしたので、あまり喋ることはできなかったですけど。まだ日本シリーズも残っていますし、日本一になってほしいと思います」

――これまでの現役生活で特に強く印象に残っていることは?

「本当に、あー、何かなー…。あんまり試合でいいことはなかったんで。野球の試合より、やっぱりホークスと西武ライオンズで『47』を背負えて投げられたことが、一番いい思い出です」

――今年は若い後輩達と野球をやってきて、何か伝えられたことはあるか?

「いま巨人のコーチをしています豊田清コーチが、僕がルーキーのときに『走れなくなったら野球は終わりだ』と言われました。僕はその言葉を常に胸に、15年間走ってきたつもりです。あえて若い人に『走れ、走れ』は言いませんでしたけど、15年間僕は走る姿で、後輩達にそういう背中を見せられたんじゃないかなというのはあります」

――同僚の選手らにはすでに報告したのか?

「そうですね…何人かには。松坂(大輔投手)や、中島(選手・バファローズ)、岸(投手・ライオンズ)、一緒にやってきた涌井(投手・マリーンズ)とかには。みんな『やれやれ』と言うんですけど、ここで終わろうと思った気持ちにブレはなかったです」

――故郷の福岡で野球を終えることを今どう思っているか?

「そうですね、小さいときから見ていたチームですし、大好きなチームだったので、その中で4年間ですけど、野球ができたっていうのは本当に球団にも感謝していますし、とても幸せでした」

――故郷で、そばでずっと応援してくれていた方もいた。

「そうですね、本当にたくさんの人が応援してくれましたし、球場にも足を運んでくれました。ちょっと期待に応えることはできませんでしたけど、本当にこれから先どうなるかわかりませんけど、まだまだソフトバンクは強くなると思いますし、日本一、世界一のチームだと思っています。それを近くでずっと見守っていたいな、という気持ちはあります」

――第2の野球人生のイメージはあるのか?

「野球人生ですか? いや、まだユニホームを脱いだばかりなので、ちょっとピンとは来ていないですけど、とにかくホークスに少しでも携わっていけたらなという思いはあります」

――指導をしてみたいという希望はあるのか?

「そうですね、ゆくゆくは、野球を長くやってきましたし、そういう道にも進みたいなという思いはあります」

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

「本当に15年間、ありがとうございました。たくさんのファンの方、いろんな人に支えられて15年間プレーすることができました。いつも打たれてばかりで、ハラハラドキドキ、たくさんさせましたけど、15年間自分も満足していますし、これからも強いホークスを応援していってもらいたいと思います。僕もこれからは一ファンとして、しっかり応援していきたいと思います。ありがとうございました!」

2015年10月18日掲載
田尻 耕太郎(ホークスオフィシャルメディア)

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