パ・リーグ最年長の和田毅投手(43)が5日、今季限りでの現役引退を発表し、みずほPayPayドームで会見に臨みました。
島根・浜田高、早大から2002年ドラフトの自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(当時)に入団。新人から5年連続で2桁勝利を挙げ、日本代表としても04年アテネ、08年北京の両五輪、さらに06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場するなど活躍しました。
11年オフに海外フリーエージェント権を行使して米メジャーへ移籍。故障もあり通算5勝を挙げるにとどまったものの、その経験を携えて2016年にホークスへ復帰しました。その後はベテランとして存在感を示し続け、プロ22年で日米通算165勝をマークしました。
会見では、決断した時期について「最近決めたわけでもなくずっと前から。ある程度固まってきたのは7月すぎ。妻にも7月には伝えていた」と説明しました。米国から復帰して3年目の18年に左肩痛で一度も登板できず、翌年復帰した時から常に覚悟はしていたといいます。
「5年前くらいから自分としては肩の痛みと戦いながら投げていた。18年に投げられず、19年に復帰できたけど、その年から5年間、ダメになったらやめようという気持ちを持ちながら毎シーズン戦っていました」。ひそかに引退を決めていた夏場以降も故障からの復帰へ向けて準備を続けましたが、ポストシーズンを前に再び故障。日本シリーズでの登板はかなわなかったものの、小久保裕紀監督の許可を得て最後まで本拠地での練習に参加し後輩たちの姿を見守りました。
終始、笑顔だった和田投手の会見の最後、別の場所でこっそり待機していた選手会長の周東佑京選手が登場し花束を渡しました。サプライズはこれにとどまらず現役選手、コーチらが続々と現れ花をプレゼント。「ウソやろ?」と目を丸くした和田投手を最後に驚かせたのは、同学年で同期入団の新垣渚氏です。総勢11人が駆けつけるにぎやかな会見。和田投手は「こんなに来ていただけるとは。感無量です。ありがとうございます」と感謝しました。
和田投手は今後については未定としており、球団とも話し合いを進める予定。指導者としての復帰については「今の自分では勉強不足ですぐなれると思っていない。そこまで考えられないけど、勉強していつかそういうオファーをいただければ、そういう人物になって戻ってこられれば」と語りました。